李靖(りせい)と聞いて活躍の場面がパッと思い浮かぶ人は少ないのではないだろうか。または、哪吒(なた)の父親と言ったほうがピンとくる人が多いかもしれない。
物語の李靖は陳塘関(ちんとうかん)の総兵官(総司令)であり、若い頃に西崑崙山の度厄真人(どやくしんじん)のもとで道術を学び、五行の遁術などを会得したが、仙人にはなれず、人間界での出世を目指した。妻の殷氏との間には金吒(きんた)、木吒(もくた)の二人の子供がおり、さらに三年六ヶ月もお腹にいるままの子がもう一人いた。これが後の哪吒である。三人の子はいずれも崑崙山に登り修行に励み、また李靖自身は総兵官として出世をしており、経歴だけを見ればなかなか優れた人物である。
だが、物語の李靖はなぜか印象が薄く、頼りなく思える(私だけかもしれないが)。それはやはり李靖と哪吒との確執(親子喧嘩)が原因ではなかろうか。哪吒が肉塊で生まれた事、生まれながらに宝器を身にまとっていた事、一度死んだ後に太乙真人の宝器で蓮の花の化身として再び命を与えられた事など、一つ一つの出来事が李靖を困らせ哪吒に懐疑的になっていく。そうした李靖の仕打ちに対して哪吒は我慢の限界を迎え、ついには李靖の命を取ろうと襲いかかる。李靖は襲撃を命からがら逃れるも、力で及ばず、術も効かず、ついには追い詰められる。絶体絶命の李靖であるが、燃灯道人(ねんとうどうじん)の助けをかり、さらに玲瓏塔(れいろうとう)を与えられ、哪吒から逃れることができた。こうした息子に歯が立たない父親の姿が、李靖が頼りないとの印象を与えているのであろうか。
李靖の登場場面では、燃灯道人しかり仏教に由来のある神々がしばしば登場する。李靖はもともと、唐代の武将・李靖が毘沙門天と結び付けられた。なぜそうなったかは不明確である。その後、毘沙門天が中国風の神に変化して托塔李天王となった。金吒、木吒、哪吒も仏教に由来する神であり、後に民間信仰に取入れられ、道教神とされていった。また、李靖一家は『西遊記』にも登場している。こうした点から見ると『封神演義』は道教や仏教などの垣根を設けず広く民間の神々を取入れている。宝塔が李靖の目印であるので、仏教寺院に行く機会があれば毘沙門天が宝塔を手にしている姿を是非ともご覧頂きたい。
文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。
絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。