二国に仕えた忠臣・黄飛虎

2023年5月1日号 /

『封神演義』に数多くの仙人や道士が登場することはすでに紹介してきた。では、仙道ではなく普通の人間で活躍するのは果たして誰であろうか。紂王や姫昌、武王は国の盟主であり、物語の構成上、目立つのは当然であろう。彼らを除いて、ともするとそれ以上に活躍が描かれるのは黄飛虎(こうひこ)ではなかろうか。

黄飛虎は、もともと紂王の臣下の鎮国武成王(ちんこく・ぶせいおう)、つまり将軍の位にあり、武官の最高位にあった。武官と聞くと無骨者で粗暴な印象を抱きやすいが、武成王は周囲の状況を常に察し、思慮深い人物である。物語序盤では妲己や費仲、尤渾の奸計に対して、商容や比干といった文官と共に解決に奔走するなど重臣達からも厚い信頼を寄せられていた。

だが、あるとき宮中で開かれた宴席で、皆が酔い潰れ寝静まった深夜に、人肉を喰らうために狐狸の本性を顕わにした妲己を追い払い怪我を負わせたことで恨みを買ってしまう。そして妲己の計略で妻の賈氏(かし)と妹の黄妃(こうひ・紂王の妃で西宮と呼ばれる)を殺され、やむなく西岐に身を投じることとなる。西岐では開国武成王の位を与えられ、厚遇して迎え入れられる。黄飛虎が殷を脱して五つの関所を突破して周の領地に至るまでに、多くの追っ手を振り切り、仙道が援軍に来るなど、ここから殷と周が直接的に対峙する物語の転換点でもある。

 

戦闘での黄飛虎は、長槍を手に持ち、一日に八百里を走る五色神牛(ごしょくしんぎゅう)という神獣に乗っている。仙道でもない普通の人間の黄飛虎がなぜ神獣に乗っているのか。しかもなぜ牛なのか。この点については謎の部分が多いが、どうやら黄飛虎は他の武将よりも特別扱いされているようである。

この扱いは、物語の最後に黄飛虎が封神される神格と関係していると思われる。物語の終盤に黄飛虎は陣亡し、最後の封神の儀式では東岳大帝(とうがくたいてい)に封じられる。中国には五つの名山「五岳(ごがく)」があり、五岳の筆頭とされるのが東岳、つまり泰山(たいざん)であり、中国の歴史や文化を語るにも欠かせない特別な山である。日本人が富士山に抱く特別感を想像してもらえれば分かりやすいと思う。他にも孔子、泰山に登るの故事で知っている方もおられるのではなかろうか。この泰山の神が東岳大帝である。

東岳大帝は、陰と陽の二つの面を持ち、陽の面は天帝の孫であり、人間世界を司るとされる。また陰の面では、泰山山下には死後に人々の魂が集まる場所(のちに泰山地獄と呼ばれる)があるとされ、ここを主管するのが冥界の判官としての東岳大帝である。

このように黄飛虎は、中国の民間信仰において絶対的な知名度を誇る東岳大帝が仮託されている事からも、物語で重要な登場人物であることがわかる。また、逆を言えば、『封神演義』が書かれた当時の民間信仰において、東岳大帝は広く盛んに信仰されていたからこそ、多く活躍する登場人物と結び付けられたのであろう。見方によっては『封神演義』は当時の民間信仰における人気のバロメーターと言えるかもしれない。

 

 

文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。

絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。