釣り人や才能ある補佐役を総じて太公望と呼ぶことがある。だが、この太公望が歴史上どのような人物であるか詳しく語れる人は少ないのではなかろうか。または漫画やアニメによって知っているという人もいると思う。
太公望は周代の政治家で、姓は姜(きょう)、名は尚(しょう)、字は子牙(しが)であり、姜子牙や姜尚などの名で呼ばれる。また虞夏の時代に祖先が呂の地に封じられたため呂尚とも称される。『史記』「斉太公世家(せいたいこう せいか)」は呂尚についての記述である。「呂尚は貧しい老人で、渭水で釣りをしていた時に周国の西伯に出会う。西伯は「太公」(周の祖)が「望」んでいた人物に出会えたことを喜び、師として招き共に周を興した」。呂尚から見ると西伯という君主をつり上げ、一国の宰相にまでなった。ゆえにこの故事が釣り人や補佐役を太公望と呼ぶ由来となっている。
『封神演義』での太公望もこの故事を踏まえている。最初は殷の紂王に仕えるが、後に殷を見限り周に丞相として仕える。人間界では丞相として、また道士としては闡教(せんきょう)を率い殷に与する截教(せつきょう)の仙人と数々の戦いを繰り広げる。趙公明との戦いで太公望は一度敗死するが、復活して術を使い超公明を徐々に弱らせ最後に討ち取る場面は見せ場の一つではなかろうか。
こうしてみると太公望は道士としてエリートに見えるが、実は道士としての才能が開花せず教主の元始天尊に崑崙山から下山し人間界で活躍するよう言い渡される。いわば破門されたのである。また下山後に縁あって結婚するのだが、そのとき太公望は70歳を超え、妻の馬氏は68歳と今で言う超高齢結婚である。しかも結婚後は毎日読書をしたり、時には商売をするがうまくいかず馬氏になじられる日々で、ついには馬氏から離婚を言い渡されるダメ夫なのである。他にも、周の丞相になった事を知った馬氏が復縁を求める「覆水盆に返らず」の故事は有名であるが、『封神演義』でこの場面は描かれていない。現代の我々でも共感できる様々な姿が描かれている点も『封神演義』や太公望の魅力であると思う。
文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。
絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。