訪中報告
この度、飯田日中友好協会並びに満蒙開拓平和記念館では、共催事業として「2024瀋陽・葫蘆島訪中団」(団長:清水可晴飯田日中友好協会会長、団員17名)を9月7日~10日にかけて派遣しました。遼寧省の大連、瀋陽、葫蘆島を訪問し、所期の目的を達成し、全員無事帰国いたしました。
訪中の主目的は、昨年3月に満蒙開拓平和記念館にて飯田日中友好協会との共催により成功裡に開催された『一九四六』展で展示された大作絵画『一九四六』の作者、王希奇画伯と奥様の王秋菊様(地元大学の日本語教授)との再会と懇談、そして終戦翌年からの在満日本人引き揚げの拠点となった葫蘆島市の訪問でした。
『一九四六』1946年より在満日本人105万人が遼寧省葫蘆島より引き揚げた様子を、中国人画家の王希奇画伯が描いた横20メートル、高さ3メートルの大作絵画。日本全国各地で展示会が開催され、昨年3月には飯田日中友好協会創立60周年記念事業と満蒙開拓平和記念館開館10周年記念事業を兼ねて、満蒙開拓平和記念館で3月21日~26日に開催された。
一行は7日、中部国際空港を出発、大連到着後市内視察、翌8日、瀋陽市に入り「9・18歴史博物館」、世界遺産「瀋陽故宮」を視察。午後、瀋陽市郊外の高級住宅街にある王希奇画伯のアトリエ兼自宅を訪問、1年半ぶりに王希奇画伯御夫妻との再会を果たし、まるで美術館かのような広く立派なアトリエ内を見学し、制作中の新作の説明等を受けました。
当日はハルビン市より「ハルビン養父母連絡会」の胡暁慧会長並びに日本人残留孤児の2・3世とされる3人らが合流し、共にアトリエを訪問しました。
同日夜、瀋陽市内で王夫妻を囲んでの夕食会が行われ、親睦を深めました。夕食会には「ハルビン市養父母連絡会」の胡暁慧会長、並びに同会で支援する日本人残留孤児関係者等計6名も参加。同関係者等より、残留孤児肉親調査員も務める寺沢秀文館長に身元調査への協力要請、聞き取り等も行われました。
「ハルビン養父母連絡会」日本人残留孤児を養育された中国人養父母が老後の生活などで苦労しているのを支援するために組織された中国側の市民ボランティア団体。満蒙開拓平和記念館とも交流があり、未認定残留孤児の肉親探しの活動を共に行っている。
9日には葫蘆島市に入り、市役所を表敬訪問し、同市人民対外友好協会の高飛副秘書長ら市担当者6人と会見、懇談、意見交換を行いました。その後、同市担当者のご案内により「日本人送還記念碑(中国語表記は「日本僑俘遣返之地」)を視察し、当時、引揚船の出航した葫蘆島港を見下ろす丘の上にも行きました。
この葫蘆島から、1946年5月~1948年にかけて元満蒙開拓団員らを含む在満日本人約105万人が引き揚げています。同港は現在、中国海軍の軍港でもあるため、丘の上からの写真撮影は許されなかったものの、引き揚げ桟橋のあった位置等を見ることが出来ました。団員には、3歳の時に葫蘆島から引き揚げてきた増田隆さん(82歳、喬木村)もおり、79年ぶりの訪問に感激していました。
一行は同日夕方、大連に戻り一泊、翌10日午後に帰国しました。飯田日中友好協会、満蒙開拓平和記念館としてもコロナ等の影響で6年ぶりの派遣となった訪中団は、協会会員、記念館関係者、一般市民など多彩な顔ぶれで、男性11名、女性6名、また県外からの参加者も3名あり、大学生から80代の高齢者までの幅広い世代で親睦を深めました。
今訪中は、王夫妻との親睦、交流や、「ハルビン市養父母連絡会」との交流を更に深め、今後も友好交流、平和希求のために活動していく上での大きな糧となりました。今後も中国東北地方(旧満州)を中心とした訪中事業を実施し、活動の幅を拡げたい思います。
(飯田日中友好協会副会長 寺沢秀文)
『一九四六』展 開催ご検討のお願い
『一九四六』は前記通り、葫蘆島からの日本人引き揚げの様子を、中国人画家である王希奇画伯が描いた大作絵画です。日中友好、相互理解を図る上で極めて意義深い作品です。
『一九四六』は現在、千葉県の城西国際大学が管理保管されております。この『一九四六』の貸出料は原則として無料、但し運送費、設置費等は主催者負担となっています。
『一九四六』展は、これまでに仙台、東京、舞鶴引揚記念館、高知市、神戸市、満蒙開拓平和記念館、鳥取県等にて開催され、大変な好評を得ています。
『一九四六』は10枚のパネルに分割でき、曲折しての展示等も可能です。昨年春の当館でも、曲折して展示しました。
来年は終戦80周年の年ともなります。記念事業等としてもこの絵の展示は大変意義あるものと思います。是非、全国各地にて『一九四六』展を開催されることをお薦め申し上げたいと思います。