千葉県日中友好協会が主催する「遠山の呼喚――陳翔・朱順林山水画展」が6月18日から21日まで、東京・虎ノ門の中国文化センターで開催された。初日に行われた開幕式には、千葉県日中友好協会の石橋清孝会長、当協会の橋本逸男副会長、永田哲二前常務理事、在日中国企業協会の王家馴会長、千葉県日中友好協会会員ら約80人が出席。石橋会長はあいさつで、本展が両国の友好促進に繋がるよう期待すると述べた。
陳翔氏と朱順林氏は共に上海出身。あいさつで、日本での展覧会開催に謝意を表した。両者は都会に住みながら自然に深い関心を寄せ、創作において“人と自然の融合”を目指している。その作品には都会人の自然への憧れが反映されており、訪れた人々は約50点の山水画に描かれた自然とゆっくり向き合い、楽しんでいた。
陳翔氏プロフィール
1985年、復旦大学中国文化学院卒。上海書画出版社編集者、『書と画』副編集長、上海中国画院院長、程十髪美術館館長、中国芸術宮(上海美術館)館長などを歴任。現在、上海市美術協会副主席、上海文芸評論家協会会員、中国美術家協会会員、一級美術師、上海市文聯委員、上海市政治協商会委員などを務める。
朱順林氏プロフィール
1997年中外著名人文化研究協会書画学術委員。2007年上海科技学院芸術設計客員教授。現在、蘇州李可染画院副院長、上海書画院画師、上海教師節書画研究会研究員、シンガポール神州芸術院特任上級書画師、上海長江デルタ教育発展センター書画研修所所長。
作品の紹介
至智の山の頂上を目指して
「奥深き 至智の山路の 一里塚 耐えて楽し哉 百里の旅路」。学位を取得した時、恩師から頂いたご褒美の句である。研鑽の辛さ、苦しさを経験した人は、はじめて知的創造の悦びを味わえるという意味が込められており、筆者のその後の人生の原動力になっている。
山水画大家、陳翔氏の〈青山晨暉図〉を見たとき、これは、まさに「至智の山路」だと悟った気がする。早朝、雄大な青山の奥の山路に棒を持って歩く3人の登山者が描かれている。曲がりくねっていてでこぼこしている道が雲と霧に覆われているため、進むべき道は不明瞭であるが、頂上が見える。極めつけは、雲と霧のてっぺんに聳え立つ赤い山である。朝日を受けて魅惑的な赤い化粧に覆われる山の頂上にたどり着けば、はじめて“会当臨绝頂,一覧衆山小”(頂上に到達し、すべての小山が一目で見渡せる」という体験を味わうことができる。これは、人生は登山のようなもので、ひたすら上へ上り続ける人しか味わえない究極な世界となるだろう。
北斎の赤富士を連想される。夏から秋にかけての晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めて輝く風景である。陳翔氏に尋ねたら、「私の山水画は、それは私の外にある客観的な世界を模型化したものではなく、自然の山河を被写体として主観的に感じ、その結果としてあるべき姿を筆で表現したものである。したがって、私の絵の中の山や川は、単なる山や川ではなく、現実世界では到達できない精神的な異界である。私はそこを、見て、泳いで、住むことができる私自身の楽園、心と体を休め、想像力を満たし、魂を浄化する第二の自然であると考えている」。
〈青山晨暉図〉にある赤い山は実在しない幻想の世界であるが、終わりのない人生の旅路そのものと喩えられる。学問の世界では、研鑽の苦しさに耐え続け、研究の土台を一歩ずつ築き上げることができる人だけが、何時か訪れる知的創造の悦びを味わうことができる世界であろう。
(城西国際大学大学院教授 孫根志華)