日中友好のシンボル となった「天台烏薬」 両国は学び合い助け合う存在

2024年7月1日号 /

昨年6月、全国女性委員会委員長就任の挨拶と講演依頼のために丁玥中国大使夫人に初めてお会いした。

私が徐福研究に携わっていることをお話ししたところ、丁大使夫人より「天台烏薬の木を知っていますか」と尋ねられた。「秦の始皇帝に仕えた徐福が探し求めた霊薬です」とお答えたしたが、お話をお聞きするうちに丁大使夫人が質問された理由が分かった。実は、中国大使館の庭にこの天台烏薬が植えられているとのこと。この木は2011年に二階俊博衆議院議員と田岡実千年新宮市長が植えたもので、当時は高さ50センチメートルほどの苗木だったが、今では3メートルを超えている。

植樹する二階衆議院議員(左)、田岡新宮市長(右)(写真 新宮市提供)

「天台烏薬」と言えば、有名な話がある。1978年、鄧小平副総理が日中平和友好条約批准と日本経済視察のため来日した際、記者会見でユーモアを交え「日本は昔、蓬莱と呼ばれ、不老不死の薬があるとされていた。今回の訪問は、それを手に入れるためだった。不老不死の薬はなかったが、日本の経済発展の先進的な経験を持ち帰りたい」と語った。それを聞いた日本政府は、不老不死の薬と言われる「天台烏薬」の苗木を贈った。

鄧小平副総理の来日から45年が経過した今日、日本に学んで改革開放に舵を切った中国は世界第2位の経済大国になった。2200年前、徐福一行は童男童女、五穀の種、百工(技術者)を連れ、海を渡って日本にやって来たが、日本は一行の優れた技術等の恩恵を受け、その後も中国の発展した技術、文化を学び取り入れた。

両国は時代によって学ぶ存在になったり、学ばれる存在になったりもする。隣人として学び合い助け合うことが、両国民の利益と安寧に繋がることを忘れてはならない。

(全国女性委員会委員長 田島孝子)

「天台烏薬」植樹記念案内板