村山富市元総理の満100歳の誕生日を祝します

2024年4月1日号 /

大分県日中友好協会は1月20日、新春祝賀会を開催しました。その中で(公社)日中友好協会の名誉顧問、元内閣総理大臣の村山富市氏が今年3月3日、満100歳の誕生日を迎えることに対して、お祝いの祝賀帖を作ることにしました。参加者の記帳をお願いし、他の賛同される方にも記帳をお願いするため、祝賀帖を回覧しました。祝賀帖が戻ってきたら村山さんの都合を伺い、記帳された皆さんの思いを届けたいと思っています。

同居している次女の中原由利さんによると、村山さんは波があるものの、100歳と思えないくらい元気であるそうです。新型コロナが酷いときは外出や人と会うことも医師から止められていましたが、今は軽い散歩、スクワット、のどの鍛錬、相撲観戦を楽しんでいるそうです。

祝賀帖


村山さんは1924年(大正13年)3月3日、大分市の漁師の家で11人兄弟の6男として生まれました。市議、県議を経て72年に衆議院議員となり、94年に第81代首相に就きました。在任中、阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など大災害、事件がありその処理に尽力しました。また、95年8月15日の終戦記念日に際して、戦後50年の節目に当たり日本の過去の植民地支配と侵略を認め、今後国際協調を通して平和と民主主義国家を歩むという趣旨の村山首相談話を発表しました。

100歳を迎えたことについて、村山さんはマスコミを通して、「100歳と言われても、実感できない。今は一日一日を家族と過ごせることを幸せに思っています」「日本がどこまでも平和な国であり続けることを願っています」と心境をコメントしています。

中国外務省の毛寧副報道局長は3月4日の記者会見で、100歳の誕生日を3日に迎えた村山富市元首相を「中国は心から祝福する」と述べ、「中国国民の古い友人で、長きにわたり中日友好に力を尽くしてきた」と評価しています。

村山元総理

 

トンちゃん(村山さんの愛称)の一コマ

○村山さんは「村山首相談話」は自民、社会、新党さきがけの連立内閣での閣議決定であって私が個人的に発表したものではないとよく言っています。以降の内閣もアジア政策で問われれば「村山談話を踏まえて……」と踏襲しています。

○妻のヨシエさんも今年100歳。夫婦で200歳、おめでとうございます!

○村山さんは多くの人から、一緒に写真に撮ってもらいたいと言われます。特に、中国から来られた人の希望は強いです。まっすぐ前を見て、少し微笑むのが村山さんの決めポーズ。ある新春祝賀会で、中国の女子留学生が村山さんとツーショットで写真を撮りたいと申し出ました。この写真を中国の両親に送ったところ、お父さんが感激して泣き出したといいます。

○ある夏の暑い日、訪中していた村山さんは海で泳いだそうです。彼は漁師の子です。しばらく泳いでいたら突然くしゃみが出て、その拍子に入れ歯が海に投げ出されました。急いで捕まえようとしたけど、逃げられたそうです。村山さんの入れ歯は今、渤海湾に沈んでいます。一衣帯水をモジったらどう描くのでしょうか。

○政治家には村山さんの支持者もいますが反対する人もいます。村山さんは他党派とは多くの論戦をしましたが、人間関係では村山さんを誹謗する人はあまりいません。村山内閣の閣僚であった方々、24時間身辺警護に当たったSPの人たちとも交流が続いています。

○村山さんのトレードマークである白くて長い眉毛は健在です。これに白いあごひげを伸ばしたら、仙人の形相になると思います。仙人の村山さんがドローンに乗って飛んでいたら、筋斗雲に乗った孫悟空がこれを見てびっくりして転げ落ちそうになるだろうと空想してしまいます。

○村山さんの健康法の一つに、のどの鍛錬があると聞いています。昔の演説原稿を、声を出して読んでいるようです。のどの筋肉の鍛錬に加え、心血を注いだ原稿を読むことは、気分が高揚し脳トレ・ストレス解消になり、長寿につながるのだと思います。

(大分県日中友好協会 事務局長 樋口秀吉)

1995年5月の中国訪問中、村山元総理が揮毫した書(2023年9月、北京の中国人民抗日戦争紀念館にて本紙広報部撮影)