「お正月事情」の話から
お正月になった。日本では大晦日の夜には、多くの人が「紅白歌合戦」を見て、年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞いてから、初詣に出かける。そして、1日の朝には、初日の出を見、お節料理を食べ、お寺や神社に出かける。家の玄関には、門松やしめ縄を飾ったりする。子供のいる家なら、子供と一緒に凧揚げしたりする。もちろん、届く年賀状を読むのも1つの楽しみ。
対して、中国では本物の新年は「春節」で、日本でいう旧正月にあたり、太陰暦に基づいているので、実は1月の後半から2月の半ばまでの間になる。それでも、日本の新年にあたる1月1日は、やはり休みで、人々はそれなりに楽しんでいる。まず、12月31日、大晦日とは言わないが、この日の夜には多くの家庭では、やはり新年を迎える〝年夜饭〟を食べる。夜が明ければ、餃子などを食べ、親戚まわりをしたりする。
この新年での行事は、個人のものより、公共団体で行われるのが多く、政府が各国大使などを招待して開催する〝新年招待会〟や各公共機関や学校などでは〝(迎)新年晚会〟(〝晚会〟は交歓会)、近年春節の時期に移行しているようだが、定年退職者を含む従業員を労う〝团拜〟などが行われる。これが、おおざっぱな「お正月事情」である。
中国語の“事情”
上で「お正月事情」について述べているので、日本語の「事情」の意味も大体わかるかと思うが、この言葉は中国人にはなかなか理解できない。というのは、中国語の〝事情〟は字面では日本語と同じだが、意味的にはだいぶ異なる。中日辞典などでは大体次のように説明している。
1 事、事柄。2 仕事、職務。3 用、用事。
具体的な使用場面もさることながら、おおざっぱに言えば、日本語の「事、事柄」にあたる。例えば、〝事情是这样的〟は「いきさつはこうだ」(『中日辞典』小学館)というような意味で、日本語のニュアンスと全然違う。
大分前の話になるが、北京外国語大学(学院)では、今のような日本語学部どころか、きちんとした日本語学科もなく、日本語教研組という時代の前世紀80年代初期、まだ日本語の授業(日本文学の読解はあるが、語学的なもので文学というほどのものではなかった)しかなかった。そこで、日本の文化、社会の授業を開講しようと学科で議論したら、日本人の先生にお願いすることになった。
しかし先生は難色を示し、日本文化、社会というのはあまりにも範囲が広すぎて、1つの授業では扱いきれないとのことだった。そこで先生の意見を取り入れた「日本事情」という科目が北京外国語大学、いや、恐らく中国の大学で初めて開設された。この「日本事情」という授業は、中国語では〝日本概况〟で、今や中国の多くの大学で開設されている科目であろう。
ちなみに、本文のタイトルは、日本語の「事情」はどういう「こと」なのか、という意味である。「事情」にも事情があるというものだ。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)