「お歳暮」の話から
12月になった。早くて11月下旬からのものもあろうが、ぼちぼちお歳暮が届くだろう。日本には、お中元とお歳暮という贈り物の習慣があるから、7月やこの12月には、届くお中元やお歳暮が待ち遠しいと思う人も、たくさんいるだろう。
2020年8月1日号連載の小文で、お中元の話をした。その際、先祖にお供えする品物について簡単に言及した。田舎では、何らかの行事で親戚が集う際、それぞれお供え用の品物を持ってくるが、中では定番中の定番が〝花馍〟だった。〝花馍〟の〝馍〟は繁体字が〝饃〟で、田舎を含む中国北方方言の言い方だが、普通話(標準語)では〝馒头〟「饅頭」というものである。幼いころ、田舎はまだ結構貧乏をしていたし、お金を出して何かましなものを買ったりはしなかったが、普段トウモロコシなどの「粗糧」を食べ、節約してためた「細糧」の小麦粉でこの〝花馍〟 を作るのであった。
〝花馍〟は山西省南部の特産で、いろいろな花模様をかたどったり、ナツメや干し柿などを入れたりして、蒸して作る。種類はたくさんあり、2008年に中国の無形文化財として認定されている。
行事の際、親戚たちがめいめい自家製の〝花馍〟を持ってきて、先祖の霊前にお供えするが、行事が終わって、親戚たちが帰るときには、皆が持ってきたものを、今度は適当に分けて持って帰ってもらう。ほかの親戚が作った、違った味の〝花馍〟を食べることができるということで、子供たちは大喜びであった。今の日本では、お中元とお歳暮は郵便で送るが、昔の供え物のお裾分けが原型だったろう。
言語分析の角度から
お中元とお歳暮という言葉は、いずれも名詞で、贈り物そのものと理解できる。しかし、日本には、「お中元とお歳暮という贈り物の習慣がある」ということとなれば、ここの「お中元」と「お歳暮」はもはやモノではなく、コト・行事という意味になる。そしてここの「贈り物」もモノではなく、「贈り物をする」というコト・動作を行うという意味である。
翻訳の授業で、この文が課題に出たら、ほとんどの学生は、全部モノとして訳してしまっている。つまり、それぞれ〝中元礼物〟〝年末礼物〟、そして〝礼物〟と中国語の訳語を当てている。
確かに、お中元をもらう、お歳暮をもらう、の場合はそれぞれがモノである。しかし、これらが「贈り物の習慣だ」とすれば、もはやモノではなく、コト・イベントという意味になる。ややくどくなるが、これは「お中元を贈る、お歳暮を贈る、という贈り物をする習慣」として理解しなければ正しい翻訳ができない。
中国でも贈り物の習慣があることは言うまでもないが、まだ日本のお中元とお歳暮のような風習はない。普段お世話になっている人に感謝のしるしとして、何かのきっかけで贈り物をするということは、人間関係を円滑にするための潤滑油としての役割を果たしているのかもしれない。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)