紙のなかった時代に“纸上谈兵”?

2024年10月1日号 /

「机上の空論」との比較

中国人なら、だれもが〝纸上谈兵〟「紙上談兵」という四字熟語を知っている。子供の絵本もあり、親や幼稚園の先生からもよく聞かされ、人間としてはただ本を読んだだけでは何もならないという教訓として教え込まれている。その四字熟語の出典が『史記・廉頗藺相如列伝』に求められている。ネット上では、中国語学習用テキストとして挙げられているものもある。

『史記』によると、趙という国に趙奢という武将がいた。趙奢は兵法に通じており、趙の兵隊を率いて秦と戦い、奇兵を用いて何回も勝利して国王に重宝された。趙奢には趙括という息子がいる。趙括は幼い時から兵法を学び、布陣などについて弁舌をふるう。しかし父親としての趙奢は、それは書物の鵜呑みで、実践をしていないから、実際の戦争では役に立たないだろうと母親に話している。のちに、趙の王が趙括を将軍にしようとしたとき、趙括の母親がわざわざ王のもとに父親の話を伝えに参上するものの、王はそれを聞き入れなかった。そして、趙括は軍を率いて秦と戦い、さんざんに敗れ、しまいには秦軍に射殺された。

『史記』の中では〝言兵事〟(兵法を言う)としか出ておらず、〝纸上〟については何も言及していない。しかし、後世に語り継がれている物語の中では、趙奢が趙括について言ったときにも、母親が王に進言したときにも、〝纸上谈兵〟という言葉を使ったりしている。字面を見れば、〝纸上〟というのは「紙上」という意味であるが、しかし、肝心な紙というものは、『史記』が述べている中国の戦国時代には、まだ発明されていなかったのである。実際、〝纸上谈兵〟という言葉は、大分後の清の時代にようやく使われ始め、『史記』への関連付けは、さらにその後の話であるらしい。

「机上の空論」

中国の戦国時代の書物は竹や木などで作られる竹簡や木簡などに書かれていた。趙括などは竹簡や木簡などを通して兵法を学んだのだろう。現代語としての〝纸上谈兵〟は、紙に書いて兵法を論じる、という意味になる。辞書によっては、説明として「紙の上で兵法を談ずる」があてられ、日本語の表現としては「畳の上の水練」や「机上の空論」があてられている。「畳の上の水練」はイメージ的には〝纸上谈兵〟とやや異なる気がするが、「机上の空論」はイメージ的に近いだろう。

それでも、最初、中国語の〝纸上谈兵〟とその日本語訳としての「机上の空論」を見た時、なぜ、中国語の「紙上」は日本語では「机上」になるのだろうと不思議に思った。それは、〝纸上谈兵〟は今でこそ『史記』にその出典を求めているが、実際は後々になってできた言葉で、「塞翁が馬」などのように日本語化されていない一方で、日本語の「机上の空論」は「机上」(これは漢字を使っていながら、全くの日本語)という言葉で示されているように、中国語の直接的な影響を受けておらず、日本語の文脈で生まれた慣用句だからなのである。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)