2つの「羅生門」
羅生門のことについては、日本人なら誰もが知っているだろう。日本に初めて留学した時に、文学の講義で、芥川龍之介の小説『羅生門』を紹介され、読んだことがある。それは『今昔物語』に材をとり、平安時代の荒廃した都を背景に、都の正門である羅生門で、仕えていた主人から解雇された下人と、かつらを作るために若い娘の死体から髪の毛をむしる老婆との間で起こる葛藤を通じて、人間のエゴイズムを描いたものである。
そのうちに黒澤明監督の同名の映画に出会う。最初は芥川の小説と同じ内容かと思ったら、実際、芥川の小説『藪の中』を原作とし、小説『羅生門』よりも登場人物を増やしながら、そのタイトルと場面設定などをアレンジしたものである。ある若い武士が殺された事件をめぐって、その妻、盗賊、目撃者としての杣(そま)売り(小説では木樵(きこ)り)と旅法師、さらに巫女によって呼び出された霊としての被害者本人の証言がそれぞれ食い違っていて、どれも我田引水的で、結局どの話が本当の事実なのか分からないといった内容である。
中国語としての“罗生门”
タイトルの「羅生門に陥る」は、日本語では意味をなさないかもしれないが、中国語の“陷入罗生门”の日本語訳である。“罗生门”は、今や中国では何かの事件に関する記事などでよく使われる表現となっている。それぞれの当事者などの陳述が多岐に渡り、どれが真相なのかわからない代名詞なのである。
言うまでもなく、この中国語になった“罗生门”は日本語から来ている。しかし中国大陸のネット上の説明を見ていると、その語源を小説『羅生門』に求めているものしかないように見て取れる。そこから、“罗生门”は、荒れ果てた都の門、戦乱のため死体がたくさん遺棄され、幽霊が出没する場所から、真相と仮相の間をさまよう、というような意味になったと、こじ付けた説明が行われている。「羅生門事件」というような使い方の例が挙げられている一方で、映画の『羅生門』のことには一言も言及していないのである。
前述のように、小説であれば、「羅生門」は場所のこと以外は特に意味はないが、今現在、中国語で使っている“罗生门”という言葉は、小説からというよりも、映画の『羅生門』からきていると考えて正当だろう。
中国語としての“罗生门”は、恐らく先に台湾で使われ始め、それから香港などで広まり、大陸で使われるようになったのは近年のことである。その語源に関して映画『羅生門』に言及していないというのは、日本からの情報の取入れが遅れている証である。
日本語を語源とする新しい中国語はたくさんある。その語源などの解明は、自分たちの仕事であると責任を感じる次第である。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)