日本の銭湯・体験談
冬になると、銭湯が近くなってくる。これはおそらく日本人の普通の思いだろう。しかし、はじめて日本に来た時の私は、日本の銭湯には戸惑いを感じるものであった。
初めて日本に来たのは1978年4月で、中国の改革開放はまだ始まっていなかった。大学生時代、大学内では週に2回、浴室が開放されていた。記憶では水曜日と日曜日の午後3時頃から9時頃までで、北京外国語大学内で生活する学生、教職員及びその家族、およそ1万近くの人々が、その時間帯にしか浴室を利用することができなかった。
浴室と言っても、昔は浴槽はあったそうだが、私の大学時代は、それがもう撤廃され、シャワーだけの浴室だった。そして、水圧が安定しておらず、熱かったり、冷たくなったりしていたものだ。それでも、週に2回の開放はありがたかった。それで、午後3時頃から、浴室の前に長い列ができる。学生は、その時間帯はまだ勉強かスポーツ活動があるので行くことができず、大体夕食を済ました7時過ぎに行くが、混んでいて、数人で1つのシャワーを利用し、皆がシャワーのまわりに立ち並び、代わり番こにシャワーを浴びていくものだった。
日本の銭湯
日本に留学に来て、最初は東京外国語大学付属日本語学校の寮で生活した。寮には、シャワー室があり、各国から来た留学生はみんなそれを利用していた。毎日シャワーを浴びられるようになって、非常に幸せに思った。2年目に、日本人の家に下宿をするようになり、下宿先にシャワー室がないので、銭湯に行かなければならない。しかし、銭湯に行くには、かなりの難関があった。
日本の銭湯は、普通男女がそれぞれ左右から入るが、銭湯の人がその入り口の真ん中に座り、料金などを徴収したり、両側の脱衣場の様子を観察したりしていた。これには、留学生はとても困っていたものである。
女子学生の下宿の近くの銭湯は、時々銭湯の主人がそこに座る。そしたら、留学生たちはそれが嫌で、毎回行く前に、必ず1人の学生が先に様子を見に行かなければならない。もし主人がいれば引っ込むが、女将さんが当番のときだけ、急いで支度をして入っていく。
困るのは女子学生だけではなかった。男子学生はその反対に女将さんがいると、銭湯に行くのは気が引けるので、行くのをやめたりしていた。
留学生や外国人の意見を取り入れたせいか、今の日本の銭湯は入り口は同じで男女が左右から別々に入っていくが、もはや銭湯の人が、脱衣場を見られないように改築されている。グローバルに向けて大きく前進している。
1980年代以降、中国の改革開放政策によって、中国の入浴事情も大きく改善されてきた。それでも、日本の銭湯ほどには便利になっていないようである。そして、日本の銭湯も生き延びるために、過酷な戦いを強いられているらしい。銭湯、日本のこのよき伝統はぜひとも続いてほしい。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)