「紅葉」の話
紅葉の季節になった。日本語では「紅葉」と書いても、「もみじ」と読んだり、「こうよう」と読んだりする。さらに、「こうよう」と読んだ場合、「黄葉」とも書き、『広辞苑』では、「もみじ」の項目に「紅葉・黄葉」と記し、「上代にはモミチと清音。上代は『黄葉』、平安時代以降『紅葉』と書く例が多い」と但し書きも付けている。そして「もみじ」と読む場合、「カエデの別称」との説明もある。
漢字表記は異なるが、「もみじ」という言い方は古くからあり、対して「こうよう」という言い方は新しいものと考えられる。現代では、前述のように、紅と黄で表記が異なるものの、特に強調しなければどちらにとってもいいだろう。
山西省の田舎では、この季節になると、柿の葉が赤くなる。山一面を赤く染めるが、野良仕事で忙しい毎日だったので、それを観賞する余裕はなかったようである。ポプラの葉っぱは黄色くなり、道路一面に落ちてくる。ポプラを称える有名な文人のエッセーがあったが、燃料の少ない時代にあっては、我らにとって、ポプラの落葉は貴重な燃料であって、人々がそれを掃きためて持ち帰り、ご飯を炊くなどに使われた。
紅葉を詠んだ唐の杜牧の詩句、「停車坐愛楓林晩、霜葉紅於二月花(車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林の晩(くれ)、霜葉は二月の花よりも紅なり)」はもっとも有名で、自分の大好きな詩句でもある。紅葉は楓(かえで)がもっともオーソドックスなものであった。
北京の紅葉
しかし、大学で北京に行ったら、秋になると、同級生達が北京の西郊外にある香山公園というところへ紅葉観賞に行く。田舎には楓はなかったが、北京外国語大学のキャンパスには何本かあった。本物の紅葉なら、楓しかないと思ったが、香山公園に行って目にしたものは、蛙の手に似たような葉っぱではなく、丸いものであった。
香山の紅葉は、本などでは“黄栌”「黄櫨(こうろ)」と記され、中日辞書では「はぜのき」と訳している。「はぜのき」は「黄櫨・櫨・梔」と表記され、ネット上では、「ヤマウルシ」だと訂正するものもあるが、いずれも細長い葉っぱで、香山公園の丸いものとは別のものである。ここではやはり「黄櫨」とし、詳しいことは専門家のさらなる研究に委ねたい。
とはいっても、この季節になると、北京の香山公園の黄櫨をはじめ、田舎の柿などの紅葉、日本では、北海道大学内のポプラ、銀杏などの黄葉、日光、京都嵐山の紅葉など、中国でも日本でも、多くの人がもみじ観賞に出かけるであろう。木の種類は別として、赤、黄など様々な色に染まった錦をなす秋の風景にしばらくせわしい日常から抜け出したいものである。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)