“私塾”? “补习班”?

2023年9月1日号 /

「塾」について

中国語専攻の学生の翻訳課題に「進学塾」という言葉があった。学生は「進学塾」をそのまま使ったり、中国語で“私塾”、“补习班”と訳したりする。

“塾”という語は、早くも『礼記・学記』に出典が見られ、「古有教者、家有塾」(古の教育では、家には塾がある)と記されている。20世紀前半までは、“私塾”は中国の学校教育の補助的な役割を果たしていた。

自分がこの“私塾”という語を見た時、頭の中には魯迅の小説や映画の中の情景が浮かんでくる。田舎のとあるちょっとした金持ちの家の一角に、こじんまりした部屋があり、“长衫”(長い中国服)を体にまとい、いかめしそうな顔をした中老の老師が教卓の前に座り、教卓には戒尺(生徒に体罰を与えるときに使う木の板)が置かれていて、数人の長い辮髪を垂らしている子供たちが難しそうな四書五経を大きな声を上げて音読している。そのうちに、老師がその一人の子供を呼び、暗誦しろ、と指示を出す。うまく暗誦できないと、老師は教卓の戒尺を持ち上げ、その子の掌にぴしゃっ、ぴしゃっと叩く。子供は痛そうな顔をするが、声も出さずに老師の折檻にゆだねる。“私塾”で教える老師は大体一人で、多くがその金持ちに雇われた者であった。

この“私塾”というものは、1949年の新中国成立を機に中国大陸から姿を消し、過去の事物に化した。古い小説や映画など以外、この“私塾”に接することはなかった。

日本の「塾」

一方、日本の塾は、江戸時代は漢学が中心だったものが、江戸後期に入ると蘭学をはじめ英学などの語学を中心とした西洋学の塾が発達した。それも金持ちの雇った一人の教師がその子弟たちを教える中国のものと違い、専門家としての教師が団体の施設や自宅などで行ったりして、ここから多くの知名な塾が生まれた。明治時代に入ってから、塾は私立学校と同じ類別に扱われ、私塾と言っても慶應義塾のように、大きな規模を持つものもあった。現在では、音楽などのような一人の教師が個人で教授する小さな塾もあるが、河合塾など、教育内容は正規な学校と違うものの、きちんとした教育のプログラムをもっていて、正式な認定を受けている大規模なものも多い。

中国の“私塾”は死語になっている。そして「(進学)塾」に対する日中辞典の訳語としての“补习班”(補習クラス)は、あくまでも進級や進学のために中学校や高校などで、そういう必要のある生徒を集めて行うクラスのことで、普通は正規の授業以外の時間帯に行い、内容も正規の授業の復習だけのものである。日本の「塾」とは比べ物にならない。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)