眺めるだけで、渇きをいやす?

2023年7月1日号 /

梅の実の話

隣の梅園の梅の実は見る見るうちに、色がついてきて、まもなく収穫の季節を迎える。いつものことながら収穫の時期になると、近所の人々は毎日のように梅園にやってくる。落ちた梅の実を拾うためである。梅園の持ち主は全然お構いなく、時々顔を出しては人々と言葉を交わし、人々は楽しそうに梅の実を拾っていく。

3月号で梅の花のことを書いた。大学入学までは梅の花を見たことがなかった。いうまでもなく梅の実も見たことがなかった。その実をこの目で見たのは、同じく日本に来てからのことで、北京で見てきたのは、梅の実を加工した“话梅”「話梅」というものであった。

この“话梅”というものは、今では日本でも見られる。日本の干し梅に似た物で、乾燥して、非常にしなびていて、元の形を確認できない。田舎の人は、杏(あんず)が同類と言っているので、おそらく杏に似ているのではないかと推測できるが、実際、梅の実はどんな形なのか、あまりわからなかった。

「望梅止渇」の故事

それでも、梅はすっぱいものの代名詞のようで、小さいころから、梅の話をすれば、なんとなく口に唾液がたまるものであった。それはおそらく大人から聞かされた、三国時代の曹操にまつわる「望梅止渇」(梅を望んで渇きをいやす)の故事による影響なのかもしれない。

曹操が軍隊を率いて行軍中に、兵士達は喉が乾き、苦しんでいる。とある梅林が見つかるが、兵士達が梅園を荒らすのではないかと曹操は心配する。そこで、梅林の梅の実を眺めなさい、と指示を出す。兵士達もその指示に従い、たわわになっている梅の実を眺める。すると不思議なことに、めいめい唾液が出て、渇きが癒やされたという故事である。いくつかのバージョンはあるが、大体こんな話である。軍隊が民衆に迷惑をかけないという素晴らしい話だった。

杏と違い、梅の実は実際そのままでは食べられないらしい。中国では“话梅”のようなものに加工して食べるが、日本では、梅干しにして食べる。初めて日本に留学し、国鉄飯田橋駅近くにあった善隣友好会館に泊まり、食事に出された梅干しを見た時、これっ、何っ?と驚いたことがある。非常にすっぱくて、ほかの同級生たちが敬遠するが、お酢が名物の山西省出身の自分には、持ってこいの食べ物であった。

梅の果実で加工された“话梅”は、おやつとして食べられたり、紹興酒を飲む際にグラスに入れて味をまろやかにしたりするのに用いられる。日本の梅干しは、日本人の食卓には欠かせないものであると同時に、いろいろな食べ物に変身したりして人々に愛されている。梅の実は我々の生活を色彩豊かなものにしている。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)