「天下人」と“天下人”
中日両言語には、「天下人」という熟語がある。今回はこれについて述べてみたいと思う。
この「天下人」は言うまでもなく、「天下」と「人」からの合成語である。語構成の形は同じであるが、実際、両言語では異なる意味になっている。
まず、「天下」について見てみよう。これは基本的には、「天の覆っている下」という意味で日本語では「あめがした」と訓読みもでき、つまり全世界の意味である。そこから世の中の意味もあり、一国全体、全国(天下に号令する)の意味もある。そして一国の政治または権力の意味(天下を取る)にも解釈でき、さらに「実権を握って思うままにふるまうこと」の譬え(若者の天下)の意味として用いられることがある。これらの意味では、中国語も同じである。
しかし、日本語の「天下」は独特の意味が生じ、中国語にはない意味である。それは天子に対する呼称だったり、江戸時代では将軍に対する呼称だったりしている。
「天下」の意味を見たうえで、「人」と組み合わさった「天下人」のことを見てみよう。
中国の著名な小説『三国演義』の、曹操の言葉が有名だった。“宁教我负天下人,休教天下人负我”(「自分は天下の人々を裏切っても、天下の人々に裏切られることはあってはならない」)。小説ではこのような言葉で曹操の奸雄ぶりを余すところなく表しているが、歴史上では曹操は別のことを言っていたらしい。それは別として、ここで分かったことは、中国語の“天下人”は、天下の人々、世の中の人々の意味である。
日本語の「天下人」の意味
あるパンフレットを見て、「天下人のふるさと」という言葉が目についた。えっと思った。中国語的な発想では、天下の人々のふるさとって何? と思ったのである。ざっと読んだら、どうも、江戸時代の将軍・徳川家康についてであった。
日本語の「天下人(にん/びと)」という言葉は、江戸時代初期から使われるようになったと言われているが、元々将軍などに対する呼称の「天下」に「人」をつけ、「~その人」という、より具体化した呼称であろう。これは天下、つまり、日本という国の実権を取った人という意味で、日本独特の意味である。
中国語の“天下人”は天下の人々という多数を指すのに対して、日本語の「天下人」は天下を取ったその人、つまり一人の人間に対する呼称である。
日本語の「天下人」は江戸幕府の崩壊、武士階級の消滅、社会の進化によって過去のこととなり、もはや過去の時代を偲ぶための限定された言葉の1つになっている。対して、中国語の“天下人”は、グローバル化した現代社会では、一国にとどまらず、ボーダレスの全世界に向けて発信する際に取り上げられる対象となるべく、目を向けられることになるかもしれない。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)