君子の交りは~

2023年4月1日号 /

「如水」にまつわるお話

東洋大学経済学部の退職者送別会はいつも東京・神保町駅近くの「如水会館」で行われていた。2020年退職時には、コロナ禍で送別会が取り消され、その後も実行されておらず、ついさる3月に、学部執行部のお計らいで4年ぶりに4年度分の退職者への送別会が開かれた。ありがたいものだった。

上記のことをダシに、今回は「如水」にまつわるお話しをしよう。

現代中国語の諺・格言に「君子之交淡如水」(君子の交わりは淡きこと水の如し)というのがある。これが一橋大学の創設にかかわった渋沢栄一氏の手記に収められ、それに基づいた「如水会」というものが誕生し、さらに「如水会館」が誕生したという。しかし、この「君子之交淡如水」はどこから来たものだろう。

「如水」の言葉の出典は『礼記・表記』とされる。しかしそこでは「君子之交」ではなく、「君子之接如水」、つまり「君子之接」となっている。「接」は日本語読みでは「まじわり」となり「交」と同じで、意味は同じである。

「君子之交」の言い方は『荘子・山木』を待たなければならない。『荘子』では、「君子之交淡若水」と記されている。『礼記』との違いは、「接」が「交」に、「如水」が「若水」に変わり、しかも『礼記』になかった「淡」という語が加わっている。「接」(接触)よりも「交」(交流)という微妙な意味の相違から、のちの中国人が『礼記』と『荘子』の文言をアレンジして新たに「君子之交淡如水」という言葉が生み出されたのである。

重宝される「如水」と「若水」

『礼記』の「如水」の「如」と『荘子』の「若水」の「若」は、意味的には同じで、日本語読みもどちらも「ごとし」となっていて違いはない。中国語としては、前者は口語的で、後者は文語体のニュアンスが残っていて、結局現代中国語では「如」に軍配が上がり、「君子之交淡如水」の言い方が固まったのである。

「如水」も「若水」も「水のようにあっさりしている」という意味だが、熟語としては認められておらず、普通の辞書にも載っていない。ただし、その意味が多くの人に好まれ、中国でも日本でも、団体名、人名、商品名などにふんだんに使われているようである。知り合いにも「如水」という人がいる。

ちなみに、「若水」に関しては、「上善若水」(最高の徳は水の若し)という老子の言葉がある。成語としては日本語に入っていないようだが、日本酒の名前にはなっている。人間はみな水のような最高の行いをしていれば、社会もずっと良くなってくることだろう。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)