“腊月”と「師走」
12月は師走ともいう。その由来は別として、現在では、日本では公暦にも陰暦にも使われる。中国では公暦の12月は特に言い方はないが、陰暦の12月は“腊月”「臘月」という。「臘月」は「臘日」からきている。「臘」は元々、古代の人々が年の終わりに動物や鳥などを狩ってきて先祖に供えるという祭りの意味であった。「臘日」は陰暦の12月8日に当たるので、陰暦の12月は「臘月」と定められた。
臘月に入れば、お正月も近づいてくる。したがって、子供にとっては、臘月は待ち遠しいひと月である。
「5日には五豆を食べ、8日には『臘八』を食べ、23日日には糖瓜を食べ、あれこれでお正月だ」(田舎の童謡)
まず臘月5日には「五豆」を食べる。字面では5種類の豆類だが、実際は大豆、緑豆、黒豆、小豆、ササゲといった5種類の豆類を粟や米と一緒に炊いたお粥である。普段食うものに不自由をしていた時代だったので、子供のころは「五豆」は非常なご馳走であった。
8日は「臘日」で、この日には「臘八」を食べる。これは穀物そのものよりも、ナツメ、竜眼、栗、銀杏といった木の実や、蓮の実、ピーナツ、小豆、ハト麦と糯米などを一緒に炊いたお粥で、市販の「八宝粥」のようなものである。さらに23日には、麦芽糖で瓜の形をかたどった「糖瓜」などを食べる。これは一層のご馳走である。
5日の「五豆」は農業の神様「后稷」を祭るためのもので、8日の「臘八」は一年の終わりに先祖を祭る行事であるが、それが、釈迦の成道の日と言われる記念日と重なってできた行事である。23日は、かまどの神様「竈王爺」が地上のことを報告しに天国へ赴く日に当たり、「糖瓜」は粘り強い麦芽糖で作られているから、「竈王爺」に食べさせて人間の悪口をしないようにという願いが込められていた。
日本の「師走」
日本の師走には現代では特に伝統的な行事はあまりなく、すでに「お歳暮」発送の作業を終えた方なら、24日に外来の祝日であるクリスマス・イブを祝い、早いうちに年賀状を投函し、後は家の大掃除、おせち料理の仕込みをし、会社などでは仕事納めをして、そして新年の到来を待つ、といったところだろうか。
中国でも、公暦の12月には特にやることはないが、陰暦の臘月には上記のように結構忙しい日々がある。都会などでは食べることだけであるが、田舎ではまだ関係の行事を行うところがある。
伝統行事を大事にし、楽しいお正月を迎えたい。
初五吃五豆,初八吃腊八,二十三吃糖瓜,咯几咯巴就年下。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)