「かけそば」と“阳春面”

2022年3月1日号 /

「そば」と“面”の違い

食欲の出る季節となった。今回は「そば」と“面”の話をしよう。

中国では南北の食生活に大きな違いがあり、南は米が主食、北は小麦がメインである。米はそのまま炊いてご飯になるが、小麦は臼にかけて引き“面”(粉)にして初めていろいろな食べ物に作られる。今こそ飽食時代になってきたが、幼いころは小麦粉で作った麺(これも“面”)はお正月などの祝日でないと口にすることは少なかった。

米が主食の南方では、小麦粉料理は、昔はより重宝されていた。母の話では、四川で生活していた際、北方出身の人にだけ小麦粉の配給があった。それも月に量が決まっており、小麦粉で作る饅頭や包子、そして麺はやはりご馳走だった。当地の人々は、普段はご飯だが、レストランでは“抄手”(ワンタン)などを楽しんだという。

 

「かけそば」は“阳春面”と訳されていた

ひと昔前、日本で『一杯のかけそば』が話題になり、映画化もされた。日本ではその後沈静化したが、中国では小学校の“语文”(国語)教科書に掲載されるほど、今でも人気だ。しかし、その「かけそば」は中国語版ができた時点では、“阳春面”(陽春麺)と訳されていた。かけそばは字面通り、そば(蕎麦)である。対して中国語の「陽春麺」の麺は、小麦粉でできている。そういう意味では、かけそばとは違うものであった。

しかし中国語版ができた1990年代は、まだ日本食は今のようには中国に進出しておらず、昔の貧しい時代にどちらかといえば飢えをしのぐために食べていたそばにはレストランで食べるようなイメージはなかったので、もし“荞麦面”(そば麺)のように訳すと、中国人には想像ができない。それで“阳春面”で当てられたと思われる。

「陽春麺」は江南の食べ物らしく、上海や蘇州あたりでは有名らしい。食材は違うが、つゆに入れて食べる点ではかけそばに似ている。対して、麺の故郷といわれる田舎の山西省では、手打ち麺や刀削麺などの麺類があるが、この陽春麺みたいなものがなかったのである。

文化交流が進むにつれ、日本料理も中国全土に広がりつつあり、そば麺も知られるようになり、それに中国でも生活の向上に従って、健康食品としてそば麺が食べられるようになった。『一杯のかけそば』の新しい中国語訳は《一碗清汤荞麦面》。“清汤荞麦面”がかけそばの訳で、これは適切な訳といえよう。

日本ではごく普通の食べ物でも、中国では非常に珍しいものとなり、逆も同じである。たまにはかけそばでも啜りながら、文化交流の大切さをかみしめたい。

(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)