中国語の“弱冠”は男性に使われていた
文藝春秋社の文春新書、女優樹木希林さんの言葉を収集した『一切なりゆき』の編集部の「はじめに」には、次の一文があった。「樹木さんは弱冠20歳のときに、名優・森繁久彌氏によってその才能を見いだされます。」 ここの「弱冠20歳」の言い方にはいささか違和感を覚えた。
言語社会では、人間の年齢に関して、数字の代わりにいろいろな言い方がある。古くは、孔子の「吾十五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不逾矩」の言葉をもとに、30歳を而立の年、40歳を不惑の年、知命または知天命の五十歳、耳順の六十歳などの言い方ができた。
さらに「人生七十古来稀」という杜甫の詩の文言などから、「古希」で70歳を表す言い方ができた。それから、これは日本人の知恵だと思うが、漢字の草書の形をもじって、77歳のことを喜寿と言ったり、漢字を崩して、80歳を傘(仐)寿、88歳を米寿、90歳を卒(卆)寿、99歳を白寿、108歳を茶寿と言ったりする。漢字の崩し方で歳を表す仕方は近年中国にも伝わり、いくつかの言い方が使われるようになってきた。また、干支に絡んで中国語では〝花甲〟日本語では「還暦」で60歳を表したりする。
“弱冠”の本来の意味
一方、昔は人の成長段階の特徴などから年齢をいう言い方もある。子供が髪の毛を束ねないことから、「垂髫」(髪の毛を垂らす)で7、8歳の子供のことを言ったり、または髪の毛を左右に角状に結うことから「総角」で10歳前後の子供のことを言ったりする。大きくなれば髪の毛を束ねることから「束髪」で15歳を表したりする。このほか、「豆蔻」(ナツメグ)という草で中学生・高校生あたりの歳をいう。
少し前に、中国では高校生のことを描いた青春劇〝豆蔻年华〟が人気を集めたことがあった。さらに儀式などから、歳の言い方の代わりにいうことがある。ここで話題の「弱冠」がそうである。古代では男子が20歳になれば、成人を象徴する冠をかぶるが、まだ未熟という意味で「弱冠」という。
上記の子供のことに関しては特に性別については区別しないようであるが、「豆蔻」は主に女子のことをいう。そして「弱冠」は男子のことをいう。
文春新書の使い方は元の使い方より逸脱した使い方のようだが、言語社会における意味の変遷の一例となろう。
(しょく・さんぎ 東洋大学教授)