「整髪料」と「養毛料」の違いは?
新型コロナウイルスの流行で家にいる時間が長くなり、髪の毛も伸び放題である。北京の友人から2か月も床屋に行かない時期もあったと聞いた。考えてみれば、人間の身なりの品位を引立てるには、「髪の毛」が重要な役割を果たしている。今回は「髪」と「毛」について考えてみたい。
頭のてっぺんにあるのは「髪」でも「髪の毛」でもいい。「髪/髪の毛」が伸びたら床屋へ行く。その際、「髪を切りに行く」とも「髪の毛を切りに行く」とも言える。しかし、たまたまご飯に紛れ込んだのは「髪の毛」であって「髪」ではない。この場合、ただ「毛が入っている」と言っても問題はない。「髪」と「毛」の違いがこれで分かる。
日本の銭湯で目に付く「整髪料」と「養毛料」。この二語は漢語的な使い方だが、「髪」と「毛」の使い方の相違が一目瞭然である。前者は髪全体、後者は1本1本の具体物そのものである。それから、和語としての「髪」は普通一つの独立した語として使われるが、「毛」は「毛が薄い」のような慣用語のほか、「〜の毛」のように連体修飾語を伴い、「髪の毛」をはじめ、細分化した多くの「毛」を表すことができる。
中国語の“发”と“毛”
中国では「身体髪膚、これを父母に受く」という言葉があり、“髪”(簡体字は“发”)という言い方は定着している。現代中国語では単音節語が少なくなり、多くは2音節以上になっていて、“发”も“头发”(頭髪)のように二音節化している。“头发长”「髪が長い」のように用いられる。そして、1音節の“发”は日本語の「髪」ほど独立性がなく、“理发”「理髪」、“发型”「髪型」のように単語の成分になる語素として使われている。
対して、“毛”は1音節でありながら、ちゃんとした語として用いられる。基本的には日本語と同じ意味だが、髪の毛以外の体毛、動物の毛などを指す。日本語の「髪の毛」のように「髪」という修飾語を持った、つまり“发的毛”みたいな言葉はない。子供の頃、中国で流行った児童漫画『三毛流浪記』の主人公「三毛」は頭に毛が3本しかないのが特徴だった。このようなやや揶揄の意味を持った使い方以外は、“发”と“毛”は厳密に区別されている。
したがって、日本語の「整髪」、「養毛」のような使い分けがなく、どちらも“发”で統一していて、“整发”、“养发”となっている。
4月、新年度が始まる。コロナ終息の兆しは見えないが、思い切って床屋で髪の毛をきれいにし、職場なり学校なりに行きたいものである。
(しょく・さんぎ 東洋大学元教授)