日中の「食べ残し」問題を考える
近所のレストランで食事中、「食べきりタイム」という貼り紙を見かけた。日本語の「~きり」に関しては、「行ったきり帰らない」「二人っきり」のような使い方があることは知っていた。しかしどうもそれとは違うらしい。そうか、「食べきる」のことか。
日本では、まだ食べられるのに廃棄される「食品ロス」は年間643万トン(2016年推計)にも上る。そこで始まったのが、地方公共団体によるこの「食べきり」キャンペーンで、食べ切れずに残した料理を自己責任の範囲で持ち帰る「持ち帰り」の呼び掛けも広がったようだ。これは非常に良いことである。
筆者は、日本での外食時は旅館の夕食を含め、私の言葉で“撑不死、饿不着”「食い過ぎにならず、飢え死にもしない」量と基本的に決めているため、普段はあまり浪費がない。むしろ、日本での食品浪費は販売時、特に賞味期限切れの処分の際に起きるのだろう。対して、中国では一品料理を注文してもおおよそ一人で食べるには十分過ぎる量が山盛りになって出てくる。2品頼めば必ずと言っていいほど残してしまう。
まして大人数の宴会なら、見栄を張るのでなくても多めに注文し、必ず残してしまう。一時、公費消費が盛んだった時、食料の浪費は甚だしかった。反腐敗運動が始まって以来、公費消費はだいぶ減ってきたようだが、日本に来る「爆買い」の人が見栄を張るつもりかどうかわからないが、絶対に食べ切れそうにない量を注文し、結局残してしまうことを友人から聞いている。
「光盤」の意味
人口が多く食糧生産が追いつかない中国では、基本的に食料浪費はタブーで、数年前、全国的に“光盘运动”を起こしていた。“光盘”「光盤」とは、一般的にはCD/DVD ROMのことだが、ここでは食べ物を載せるお皿「盤」を綺麗にする「光」という意味である。このお陰で持ち帰りの光景も多く見られるようになった。それでも中国人の面子からなのか、あちこちで残していくシーンが目に付く。
お正月には、日本人は家でおせち料理を楽しむが、中国人は近年外のレストランで大々的に正月の祝宴を張ることがあると聞いている。中国の古い言い伝えに、“谁知盘中餐、粒粒皆辛苦”「お皿の中の食事は、一粒一粒すべて苦労から得たものだ」というのがある。お正月も、普段の生活も、このことを肝に銘じたい。
(しょく・さんぎ 東洋大学教授)