第17回大会(スピーチ/基礎部門:神奈川県代表)八塚住子 さん
私は、コンテストに出場した翌年、日中技能者交流センターの派遣で、日本語教師として、浙江師範大学に赴きました。
わずか1年間でしたが、そこでは、人生を変えるほどの大きな体験をさせてもらいました。当時の中国は、文字通り日進月歩、まさに激動の時代で、毎日が驚きの連続でした。当時1万人が校内に住んでいましたが、日本人は私一人。事前にスピーチコンテストに出て発音を徹底的に練習していたお陰で、中国語での生活を何とかこなすことが出来ました。当時の学生とは今も交流が続いています。
あれから既に二十余年の歳月が流れ、その後も中国の発展の勢いはとどまるところを知らず、恐ろしいほどに感じられるこの頃です。互いに引っ越しのできない日中両国は、今後いっそうの理解が不可欠です。その窓口として、互いの言語を学ぶところから始めるのが良いと思っています。私は、自分の住む地域に中国語の学習サークルを立ち上げました。
第20回大会(スピーチ/基礎部門:兵庫県代表)広瀬真知子 さん
ペイフォワードの旅
30代後半から始めた中国語は、ラジオ講座の受講や留学生の会話指導、中国留学、大学院での学びから日常会話が分かるようになりました。2015年に県立高校を定年退職し、広東工商学院へ、2年目は南京農業大学へ日本語教師として招聘されました。
中国の学生たちに浴衣の着付けや日本料理の指導、二胡の伴奏で日本の歌の指導、日本語スピーチコンテストの特訓など思い出は尽きません。今も交流が続くことを嬉しく思います。
帰国後は、日本語教育実践の論文発表や今までご指導して下さった日本人の先生方を始め、時間に都合をつけ、会話の勉強に付き合ってくれた留学生に心からの感謝を込めて、『ペイフォワード~恩送り~』(2018年)と題し、拙著を出版しました。
中国の学生から送られた中国画がきっかけで、現在は武蔵野美術大学で日本画を学ぶ4年生です。今後も中国とのご縁を授かりますよう願っています。ありがとうございました。
第21回大会(スピーチ/一般部門:三重県代表) 澤口哲弥 さん
94年から2年間北京の大学で教える機会を得、それがきっかけで独学で始めた中国語。当時、改革開放政策の北京は埃と黄砂と煤煙にまみれ、街も人びとも「乱七八糟 」。日本の高度経済成長期のフィルム映像を間近で見ているような毎日だった。そんな世界を生き抜き、心底楽しむには、相手の言語をマスターするしかない。北京駅の切符売りの服務員と口論をした。面的の運転手の稼ぎ自慢も聞いた。旧日本軍の捕虜になった話も老北京人から聞いた。旅先の海南島のおばちゃんの息子の進路相談にも乗った。ことばを操れるというのはこんなにも世界を広げるのだと思った。スピーチコンテストは、日本に戻って、ただその延長線上に力試しとしてエントリーのテープが貼られていただけ。あのころは、体の奥から中国語を発していたように思う。スピーチコンテスト入賞は、語学学習の証明の場ではない。心と体に浸透した異文化の洗礼をことばにしていくつぶやきの場だと思う。
第22回大会(スピーチ/基礎部門:東京都代表) 中川知美 さん
中国語学習者の多くがこの大会への出場を目標にしていることは、実施回数や参加者の多さから見ても疑う余地はなく、私もそのひとりだ。出場から15年以上を経て往時を振り返るに、この大会への出場が中国語と向き合ううえでの転機となった感がある。
私は旅行で訪れた北京である人と出会ったことをきっかけに中国語を学び始めた。学習期間の殆どを独学で過ごし、その中で自身のレベルを測る手段のひとつとしてスピーチコンテストの存在を知った。1位を獲得して招待旅行の権利を得る。優勝者として訪れる北京で彼との再会を果たせたらどんなにいいだろう・・・その思いは大きな目標に変わった。初挑戦では予選2位で苦杯を舐めたが、二度目の挑戦で目標を達成することができた。
学習を継続した甲斐あってその後通訳案内士の資格を取得し、週末は太極拳講師を務めている。あの時経験した挫折と成功が私を今の私にし、また未来への糧となっているのだ。
第28回大会(スピーチ/大学生部門:千葉県代表)中村理沙 さん
大会を通して、伝えることの難しさや面白さに気づくことができました。どういう表現をすれば聴いている方の心に響くのかをじっくり考える良い機会となり、いつか「伝えるプロフェッショナル=通訳者」になりたいと思うきっかけにもなりました。
大学卒業後は物流企業に就職し、様々な場面で中国語を活かした業務をさせていただきました。その後、本格的に通訳者の道に進みたいと思うようになり、まずは通訳という仕事を知るために通訳エージェントに転職しました。私自身が通訳することはありませんが、プロの通訳者の仕事を真近で見ることができるため大変刺激を受けています。週末は通訳者養成学校に通い、主に通訳テクニックと表現力を磨く勉強をしています。
現在は子育ても加わったため時間がいくらあっても足りない毎日ですが、いつか通訳者として現場に立つことを目指して頑張ります!
第30回・32回大会(スピーチ/一般部門:東京都代表)幡野泉 さん
2回出場しました。中国語力をアップさせたいという動機で、宿題で書いた作文をアレンジして出場した1回目は4位でした。「次は‘これを伝えたい!’という思いが湧きあがったら出場しよう」と思い、2年後に再チャレンジ。東京都日中友好協会が主催していた「漢詩かるた」の面白さに感銘を受けた私は、それをテーマにしました。大会に向け、発音、声調、強弱、緩急、動作まで細かく練習し、質疑応答も20項目以上の答えを用意しました。大会後の講評で、「発表で発音や声調が良くても、質疑応答で地の語学力が出てしまう」というお話があったりもし、「自分がそうなるのは嫌だ!」と思ったんです。こういった訓練で、「地の語学力」が底上げされるのだと思います。2回目の出場では2位でした。大会に出場したことの最大の収穫は、出場者の皆さんとの出会いと交流、そして審査員の先生方から直接アドバイスをいただけたことです。大会への出場は、私の大きな財産となっています。
第33回大会(スピーチ/大学生部門:大阪府代表)小田真璃奈 さん
全国大会での優勝を、両親を始め、多くの人が喜んでくれたことを、すごく嬉しく思ったあの感覚は、今でも鮮明に覚えています。色々な人のお陰で勝ち得た優勝は、今でも私の誇りであり、くじけそうになった時の心の支えとなっています。
スピーチコンテストへの出場をきっかけに、どうすれば人の心をつかむ話し方ができるのか、いかに中国語の力を活かしていくのか、と考え工夫する習慣が身についたように思います。大会への出場をきっかけに、日中友好協会様からは、同志たちとの交流の機会も沢山いただき、1つ1つが大変貴重な経験であり、かけがえのない思い出です。
スピーチコンテストに参加するのには、ちょっぴり勇気が要るかもしれませんが、結果の如何に関わらず、大会に挑戦して得られるものは、想像以上に多くあります。私ももう一度、あの大会の舞台に立ちたいな、と思ったりしています。
第33回大会(スピーチ/一般部門:大阪府代表)浅岡真美 さん
私が全国大会に出場したのは、今から5年前のことです。専門の英語と同じくらい中国語学習に力を注ぎ、社会人になって出場した大会で3位に入賞することができました。
その翌年、孔子学院から奨学金をいただけることになり、公務員を退職して中国へ半年ほど留学しています。3ヶ月以上の留学は初めてで、また中国語力に自信がなかったため、数日間ずっと緊張していたことは今では良い思い出です。すっかり中国に溶け込んでしまった私は、留学が終了する間近にはそのまま現地に住み続けたい一心から現地で就職をし、累計2年半を中国で過ごしました。
中国語学習から新しい道を開くことができ、帰国後はその経験を生かして誰かの夢を応援するべく、Wonder of Japanという中国語・英語・日本語の3カ国語の翻訳サービスを立ち上げました。現在は中国国内外の企業や個人事業主の方々からご依頼をいただき、起業から1年半で390件もの翻訳依頼をいただいています。
Wonder of JapanのURL:https://wonder-of-japan.com
第35回大会(朗読/大学生・大学院生の部:神奈川県代表)
第36回大会(スピーチ/大学生部門:神奈川県代表)西島光洋 さん
私は、自身の中国語力を向上させ、かつ世に問うために、本スピーチコンテスト(以下スピコン)に参加しました。中国語専攻の学生も多く参加する本スピコンで入賞することは目標の1つでした。スピコンを通して、私の中国語力は大いに向上しました。しかし、スピコンで得たことは、中国語力だけではありません。
私は現在大学院生として、日本と中国の大学で研究をしています。研究では、自身の成果を他の研究者の前で発表する必要があります。言語そのものの運用能力に加えて、どのように伝えれば発表内容をより深く理解してもらえるか――これらは、伝える内容こそ違えど、スピコンで求められる能力とまったく同じです。その意味で、スピコンで培った能力は、研究発表の際にも大いに活かされています。
私は研究者として、科学技術分野で著しい発展を遂げる中国でも活躍の場を持ちたいと考えています。そのために、現在でも中国語力の向上に日々努めています。
第37回大会(朗読/中学生・高校生の部:宮城県代表)星七姫子 さん
中国語スピーチコンテストに出場した日のことで鮮明に覚えていることは中国語で話しかけられたときに中国語で話し返すことができなかったことです。「高校一年生?って聞かれてるよ」という先生に助けられながら、唯一言えたのは「对」だけでした。悔しさよりも、話せるようになりたいという気持ちが強かったです。
大会後、リスニングのために見始めた中国ドラマにハマり、白宇や朱一龙の魅力について語り合う中国人留学生の友達ができました。選択科目の影響で一年次の冬から中国語を受講することができなくなりましたが、独学で続けました。習っている中国武術と中国語についてスピーチを書き、二年次の2月に校内の大会でモデルスピーチができたときは本当に嬉しかったです。
今思うと高校一年次の経験が今までの活力になっていたと思います。コロナ禍が落ち着いたら中国の呉裕泰茶荘に行き、自分の中国語力で覆盆子草莓绿茶と花果茶を購入したいです。
第38回大会(朗読/一般の部:兵庫県代表)三崎智子 さん
中国語の学習歴が10ヶ月の時、この大会に出場しました。完全独学で、中国に行ったこともない。そもそも人前で中国語を発した経験がない。今思えば、その状況で出場した自分の無謀さにただただ驚きます(笑)
出場を決めてからは必死に練習を重ね、大会当日を迎えました。自分の発表は、緊張でほぼ覚えていません。しかし、私が話し始めた瞬間の光景は今でも忘れられません。声を発した瞬間、会場の皆さんが一斉に私を見たのです!「自分の中国語が伝わった!」というのを、人生で初めて実感した瞬間でした。
今年は復旦大学のオンライン留学に参加しました。オール中国語での授業はとても難しかったのですが、スピコンで発音の基礎を固めたことで先生とのやりとりがスムーズにでき自信に繋がりました。
大会で得たものは、私の中国語学習を支えるお守りのような存在です。