姚暁彤②

夏休みが終わり、秋冬学期に入りました。この夏休みに、私はさまざまな活動に参加し、新しいことをたくさん学びました。新学期に入り、勉学においても、個人の成長においても、まだまだ課題が山ほどあり、それらに取り組み、解決していく必要があると実感しています。それでも、この三ヶ月の間、私はいろんなチャレンジをし、充実した日々を送っていました。具体的な近況は以下の通りです。

学業面

八月に、私がいる大学の文学研究科が主催する若手研究者フォーラムで発表するため、原稿を書く作業をしていました。「全体主義下の生得的権利の不在について」をテーマに、九月中旬にフォーラムで無事発表を終えました。発表後、指導教員と文学研究科のほかの方から質疑され、自分の発表の問題点に気づきました。今回の発表では、主にアーレントとカントの理論を中心に展開しましたが、質疑と指摘されることによって、自分が勉強している哲学者の理論ではなく、私自身が全体主義、また生得的権利、道徳、法などの概念について、どういうふうに考えているのかを改めて考えてみました。ただ勉強するだけではなく、自分自身の考えと感じてることをまとめて、言語化することをもしてみました。

九月には、学内の哲学講座『メタフュシカ』の文献紹介に執筆し、修正を重ね、無事に原稿を提出することができました。もともと紹介を予定していたのは、アーレントの博士論文『アウグスティヌスの愛の概念』でしたが、前から興味を持っていたハーバーマスの著作を一度読み、書いてみたいとも考えていたので、指導教員と相談した上、今回はハーバーマスの1986年のタナー講義「法と道徳」第一講の内容を紹介することになりました。ハーバーマスの内容を細かく読むのも、書くのも今回が初めてだったのですが、とても面白かったのです。作者の言いたいことは講義のなかでは、常に一本の線を引いているようで、読むときはいつもそれに導かれて、文字の海で溺れたり、迷走したりすることはありませんでした。難しい言葉がたくさん並べられているが、主張がとてもわかりやすくはっきりしていました。文字から作者の思考はまるで岩の層のように積み重ねているのが見えて、とても深く暖かく、魅力的な論文だと感じながら拝読しました。

しかし、今回の文献紹介の執筆は難航し、思い通りに書けなかったのです。それでも、なんとか努力をし、結論までに至りました。こんなに苦戦して文章を書くことは初めてで、途中で諦めようとも考えていましたが、完成した原稿を読むときは、やはり頑張ってよかったと感じました。

九月は他にも、ニーチェ論文の講評会と大阪哲学ゼミナールにも参加し、いろんな方の発表を聞きました。非常に勉強になりました。また、外国語を精進するため、日々勉強と練習に取り組んでいます。

 

生活面

生活面においては、やはり今まで通りに、暇なときは友人とお話ししたり、遊んだりしてました。秋になって、晴れの日が多くて涼しくて、午後に時間があるときはいつも外に出て、お散歩をしていました。秋の空模様があまりにもきれいで、いつも見惚れてしまいました。どこに行っても金木犀の匂いが漂っていて、人のいないところではマスクを外し、肺に金木犀の匂いがする空気をいっぱい吸い込んでみました。

十月は新学期になったのですが、発表が詰まった夏休みよりは自分の時間を楽しむことができました。家で本を読んだり、音楽を聴いたりしてました。夏の終わり頃に、ひまわりの花を買い、部屋にお花を飾ってみましたが、一週間くらいで枯れてしまいました。寂しい気持ちになりましたが、枯れたひまわりを見るのが初めてで、花びらの色が通常より濃くなって、まるで油絵のようでとてもきれいでした。枯れても枯れた魅力があると実感し、記憶に留まるひまわりになりました。本や人、植物や動物、いろんなものから学びを得る日々を送りました。

修論を書くために、論文や資料を集めていたのですが、やはり全部読むのは難しいと気づき、自分が論文で一番伝えたいことは何かを最近ずっと考えていました。研究のために、ドイツ語を勉強していると友達に言ったら、昔使ってたドイツ語の教科書を貸してあげると友達が言ってくれました。それを聞いて、とても嬉しかったのです。自分は恵まれているとも感じました。他にも、友達と小説を一緒に読んだり、読書会をし語り合ったりして、プライベートもとても充実していました。

 

これからについて

博士前期課程の最後の学期に入り、今自分のできることを精一杯して、楽しく毎日を過ごしています。目前の目標はまず修論を執筆し、少しでも役に立つ論文を書きたいと考えています。十月と十二月のゼミ発表では、研究室のほかの方の意見を聞いて、自分の納得いく論文に仕上げたいと思います。

枯れたひまわり