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日中友好とは何か

訪中前から中国に対する私のイメージは良かった。大学で現代中国政治を扱うゼミに所属していることもあり、中国から来た留学生と日頃から触れあっていたため、政治は政治と考えていたためだ。日本国民の対中感情が私の想像以上に悪いことに気づいたのは、訪中することを周囲に告げた時だ。特に足下で日中間の緊張が高まる中、今からでも訪中を取りやめるべきだとまで言う者もいた。しかしながら、実際に行ってみれば中国での滞在は極めて快適で、現地の方々は皆一様に優しく対応してくださった。それもひとえに日中・中日友好協会等関係者の皆様のご準備のおかげなのであろうが、拍子抜けするほど何の問題も無く帰国することができ、感謝の念に堪えない。

日本で中国政治を勉強していると、中国の政治体制に対する批判か礼賛いずれかの極端な主張ばかりを見かけるように思う。国民レベルでも中日友好協会の方が指摘されていたように中国脅威論や中国崩壊論の本が書店に並ぶ一方、TikTokを眺めSHEINで洋服を買い、中華料理を堪能する人々もいる。

日本の中国に対する向き合い方を考える上で「友好」は一つのキーワードだ。日本の対中政策は友好が軸であった。国交正常化を実現させ、今回利用した北京首都国際空港の整備やバスでの移動で通過した際に紹介された日中友好病院の建設を含む多くの財政援助を行った上、1992年には天皇訪中を実現させた。しかし中国が経済発展を遂げ日中間の政治的対立がたびたび起こると、中国を経済・軍事的に脅威と捉える動きが強まり、友好関係を続ける日本の外交姿勢に対する国民からの批判が強まったように感じる。すなわち、日本が友好姿勢を取っているにも関わらず中国は十分に応えていないとする日本の対中外交姿勢への批判が見られるようになった。一方で、歴史的経緯から「友好」自体を外交の目的としているのは日本だけであり、中国を含め外交は国益の追求が目的であり、友好はその手段に過ぎないという反論も多く目にする。こうした国民感情の影響を受ける一方で中国を重視する経済界の意見も踏まえ、日本外務省は現在、中国との建設的かつ安定的な関係は重要だと認めながら「普遍的価値」を共有する国々と共に主張すべき点はしっかり主張し、安全保障等の面においては冷静かつ毅然と対応するという姿勢を示している。

たしかに、経済面においては中国との友好を求め、外交・安全保障では距離を取るというのは一見合理的な考えにも思える。中国は日本にとって最大の貿易相手国であり、地理的な距離の近さから観光客の誘致なども期待できる一方、日中は異なる政治体制を持ち互いの行動や言動について受け入れがたい点があるためだ。しかし、今回の訪中を通じて、これではあまりに寂しいのではないかと感じた。実際に中国を訪れて感じたのは、中国も日本と変わらない「普通」の国だということだ。日頃政治を勉強していると党や軍、国務院や地方政府といった組織にばかり目がいくが、現地を訪れて足下から見上げる中国では、人々が普通の日常生活を送っているように見受けられた。

日中両国の過去・現在の行いについて双方に様々な意見や批判があることは承知しているが、経済と外交・安全保障の二軸のみで相手が「友好」的か「友好」的でないか、あるいは相手に対して「友好」的な態度を取るべきかどうかを決するのは困難ではないだろうか。そもそも、14億の人々を抱える中国という国が、単一の意思、思想、感情を持ち行動していると捉えることができるのだろうか。再び中日友好協会の方の言葉を借りれば、日本と中国は、過去も未来も引っ越すことのできない隣国である。長い歴史を通じて互いに影響を及ぼし合い、良きにつけ悪しきにつけ極めて深い関係を築いてきた。その歴史や現状に対する評価は、国家レベルでも個人レベルでも一致することは無いだろう。中国に対するイメージが、私と周囲の人々との間で異なるように、中国においても日本に対するイメージは無数に存在するだろう。今回このような機会を得て、そもそも日中友好とは何であるのかを考えることが、今後の日中関係の発展に繋がるのではないかと考えるに至った。


すべてが広大な隣国を体感して

中国はどのような国か。その問いに答えるには、7日間はあまりに短すぎた。7日で測ることができないほどに、中国は大きな国だった。面積も、人口も、そしてやることのスケールも。

まず、上海と北京という二大都市を回るにあたり、至れり尽せりの旅にしてくださった協会の皆様に御礼申し上げたい。豪勢な食事、立派なホテル、穏和なガイドさんを始め、個人旅行では絶対に不可能なほどの充実と徹底っぷりだった。この訪中を安全に終えられたのは皆様のご尽力の賜物である。

さて、大きすぎる中国と述べたが、それでも実際に行き自分の目で見ることに非常に価値があった。良い面もそうでない面も、何事も百聞は一見にしかずだと実感した。感想はいくらでも出てくるが、特に印象的だった点について記していきたい。

今回最も嬉しかったのが、中国の人々のあたたかさに触れられたことだ。最大の目的であった大学生との交流に対して、当初は少なからず不安を抱いていた。街中で一般の人から好奇もしくは嫌悪の視線をもらうかもしれないことは想定していたが、同年代の彼らが自分たち日本人にどのような印象を持っているのか、こればかりは日本での報道から窺い知ることはできなかった。しかし、上海理工大学に到着したバスの中で、私の不安は払拭された。まだバスを降りる前から、我々の名前を掲げて笑顔で車内に手を振ってくれている彼らを見て、とても安堵した。日本語学科があることにまず驚き、そして皆さん流暢に日本語で話してくださることに驚愕と感謝を禁じえなかった。ただ、やはり言葉の壁はあるもので、中国語、日本語、英語を交えながらの会話となったが、それでも想像を遥かに上回る楽しい時間となった。もちろん、中国語をもっと話せる・聞けるようになりたいというモチベーションにも繋がった。

北京第二外国語大学の皆さんは、急遽決定した我々の訪問であるにもかかわらず、たくさんのトークメニューを準備してくださっていた。ゲームや会話を通して、お互いが何に興味があるのか、日本と中国の共通点や相違点などを直接知り考えることができた。上海でも感じていたが、皆さんのノリが良く、積極的に拍手や合いの手などを入れて、和気藹々とした雰囲気をつくってくださった。個人的に面白かったのは、中国において「ミニトマトは果物である」と教えてもらったことだ。

上海での中日青年交歓会も強く印象に残っている。私は歌のパフォーマンスに参加したため、他の団員より一足先に会場に入ることができたのだが、予想の数十倍豪華で気合いの入った会場とセットに目を見張った。その雰囲気、他団体のレベルに気圧され、正直寄せ集めメンバーの我々で上手くいくのか心配しかなかった。だが、数時間の練習を経て何とか形になり、場の空気感を楽しめる余裕も出てきていたように思う。当日は、その日に訪問したばかりの上海理工大の皆さんも来ていて、セレモニー後の食事でさらに交流を深めることができた。

見所は他にもたくさんあった。電飾の使い方に中国を感じた夜景クルーズ、見ていて怖いくらいの曲芸が次々に繰り出される雑技団、ローカルさに存分に接した超市での買い物、自国とは異なる視点で歴史を見る面白さを認識した抗日戦争記念館、伝統と歴史そして中国らしさに溢れていた長城(筋肉痛になった)と故宮。食事は毎食、回転テーブルの品数豊富すぎる中国料理をいただいた。蟹味噌の小籠包、甘くない月餅や胡麻団子、ライチの入ったエビチリ、北京烤鸭、よくわからない味だけど美味しく体に優しい味がするスープ、牛肉と羊肉のしゃぶしゃぶ、みんなが何度もおかわりしていた炒飯。挙げればきりがないほどに、全てが充実して密度の高い時間を過ごさせてもらった。

しかし、上海と北京、その二つでさえもごく一部しか見ていないし、広大な中国の面積を考えれば実に僅かである。もっとここに行きたかった、という場所はたくさんある。おそらく、我々が今回目にした中国は、「綺麗な中国」の片鱗であり、それだけではない面もきっと存在するはずだ。次に訪れる際には、もっと中国語でのコミュニケーションが円滑にとれるようにしておき、いわゆる観光地ではない場所にも足を運んでみたい。隣国であるからこそ、目を背けず、人づてに聞いた話を鵜呑みにするのではなく、自分の目で見て感じたことを大切にしていきたい。中国への興味が一層増した、実り多き7日間だった。


民間レベルの日中交流の重要性

訪中前は、日中関係悪化のニュースを見て、あたたかく迎え入れていただけるのだろうかとかなり不安を抱いていた。しかし実際に中国の皆さまと交流すると、政治的に日中関係が悪化していても人々は必ずしも反日的とは限らないうえ、民間では強い連携が続けられているということが改めて意外に感じられた。日本のテレビ番組では中国との外交の話題ばかりが放映されていることもあり、民間レベルでの日中協力については自主的に情報を入手する必要性があるということを北京中日イノベーション協力モデル区などを訪れて再認識した。

加えて、中国で反日的な報道がなされているのと同様に、日本国内でも一部の番組で反中を煽るような報道がされているからこそ、私たち日本人はできる限り自らの目で中国を見て、自分の頭で考えて中国を捉えるべきだと痛感した。

例えば一部の中国人の方々の礼儀を欠いた様子は日本のメディアで頻繁に取り上げられており、私はそれを見て少し不快感を抱くこともあった。しかし実際に中国に行ってみると、不思議とそれはカルチャーショックとして面白く感じられた。具体的には、北京で雑技団を見た際、観劇中にも関わらず目の前にいたおじさまおばさま方の集団が立ち上がってしまったり、着席するよう劇場スタッフに注意されてもなお立ったまま写真を撮る方がいらっしゃったりしたことには、大変驚いた。これは極端な例だが、逆に日本では気を遣うことが当たり前になっており、周囲の目を気にしすぎる生き方を窮屈に感じている人も少なくない。細やかな心遣いを持っているのは素敵なことだと思うが、先述の方々のような素直で裏表のない生き方も一概に悪いとは言えないのかもしれないと感じた。

また日本の戦争資料館では、残酷な被害が丁寧に紹介されたうえで反省を生かして平和な世界を目指す姿勢が強調されているように思う。しかし中国人民抗日戦争記念館では、中国という国の偉大さと戦時中の日本の残虐さが特別に強調されていた。そして展示の終盤はガラス張りの床の下に展示された日本の国旗や武器を観覧者皆が踏むように作られており、いち日本人として複雑な感情を抱いた。一方で、日本の今までの義務教育では、加害者としての歴史の学習が不十分であったとも考えさせられた。やはり相手の視点を知ることは重要であるため、より多くの日本人に中国人民抗日戦争記念館を訪れてほしいし、より多くの中国人にも日本の戦争資料館を訪れてほしいと思う。

以前、新聞の投書欄で読んで心に残っている言葉がある。「本当の愛国心とは、国が間違った方向に暴走したとき、それは違うと声をあげられることである」。これは、日中関係においても当てはまると考える。お互いに、自国のことも相手のことも大切に思えばこそ、無理に仲良しこよしを目指すのではなく、しがらみなく意見を言い合える場を民間で構築する必要があるかもしれない。

訪問を通じて、中国の皆さまの温かさにも度々触れることができた。上海理工大学や北京第二外国語学院の学生の皆さまは本当に快く歓迎してくださったし、スーパーやコンビニの店員さん、ホテルのスタッフの方などに拙い中国語で質問をすると一生懸命聞いてくださって、通じないときには翻訳アプリも駆使しながら試行錯誤をして歩み寄ってくださった。さらに、上海から北京に行く飛行機での機内食は特別に私たち仕様の可愛らしいパッケージにしてくださっていた。これらの経験を通じて、この国の人だからこのような性格である、政治的に関係が悪いから交流が難しいなどの先入観をできる限り排して個人と向き合う交流を続けて行きたいとの思いが強くなった。

7日間で、数え切れないほど多くの貴重な経験をさせていただいた。一方で今回は日中関係の悪化を受け、手厚い警備をしていただいたり南京訪問を断念したりなど特殊な状況も多かったからこそ、いつか個人でも訪中をし、ある意味守られていない状態で各地を巡って一味異なる中国にも触れてみたい。加えてもちろん訪中団を通じて得た学びを糧にし、出会った学生の方々との交流もぜひ続けてゆき、微力ながらも日中交流の懸け橋の一つとなりたい。


私と中国

今回の訪中に参加して私が中国に持つイメージが大きく変わった。

私は現在大学で主に中国政治を専攻していることから、中国という国に対して日本とは全く異なるという固定観念を持っていた。例えば、訪中前までは中国人はとても気が強くて、自分の意見は強く主張するという、控えめな日本人とは全く異なるイメージであったり、空気や衛生状態があまり宜しくないこと、そして共産主義国家であることから情報統制が敷かれていることなど、民主主義国家では普通考えられないような事が日常茶飯事に行われていることから、とても興味深いという感想を持つほか、我々とは全く異なる価値観を持つ人達が共存しているという考えを持っていた。このような文化的背景や過去の歴史的背景を鑑みると、日本人のことを受け入れてくれるかどうか正直不安であった。しかし実際、今回の訪中で本物の中国を生で見るのと同時に、中国出身の学生との交流を経験し、以前抱いていた中国に対する固定観念が大きく変わった。

まず、中国の方は自分の意見をはっきり主張し、とても積極的なイメージがあったものの、実際多くの中国の学生さんはとても私達に対して気を遣ってくださり、適度な距離感で交流を持ってくれた。今回訪問した上海理工大学と北京第二外国語大学の学生さんはとても穏やかな人達ばかりで、話していてとても心地のよい雰囲気であった。実際大学でも多くの方々が日本語を専攻しており、その驚異的な日本語力に圧倒されるのと同時に、私が中国政治について勉強していると話した際、とても興味を持ってくれ、会話が弾んだことはとても記憶に残っている。なかでも、中国の学生さんが私たち日本人や日本のことにとても興味があるということに気づいた時は、とても嬉しかった。日本の土地の事や学校生活、 普段の日常など、沢山の事を私たちに尋ねてきてくれ、私も反対に現地の中国でしかわからないようなお話を沢山聞くことができた。

次に、中国人民抗日戦争記念館を訪れ、その歴史的な重要性を深く感じることができた。この館は北京の盧溝橋付近に建てられているものであり、中国の歴史において極めて重要な役割を果たした出来事を称える場所であることを、訪れた瞬間からその雰囲気に包まれた。戦争の犠牲者への敬意と感謝の念が湧き上がり、彼らの勇気と献身に深い感銘を受けた。館内の展示は、戦争の悲劇と同時に、中国人民の団結と不屈の精神を素晴らしく表現していたと感じる。特に私に強烈な印象を与えたのは、抗日戦争の勇敢な戦士たちの写真と彼らの勇気ある行為についての展示であった。彼らの奮闘と犠牲を通じて、命の尊さについて改めて実感させられた。この記念館の訪問を通じて、戦争の痛みと犠牲を忘れず、平和への願いがより強くなった。私は今後も中国との関係を深め、平和と協力を推進するために何かしらの貢献をしたいと考えている。中国の歴史と文化に敬意を払いながら、友情と協力を育む道を進んでいきたい。

最後に、今回の訪中を通して、中国に限らず、固定観念や情報だけで何かを決めつけてはいけないということを学んだ。それは今回の訪中で、訪中前とは全く違うイメージを持つことができた上に、貴重な経験としてこれからの人生に役立つと思ったからである。私は日本に帰ってきて、中国政治に加え、中国語を勉強している。それは未来において自分の可能性を広げるのと同時にこれからも中国と交流をしていこうと考えているからだ。今後も決して謙虚な心を忘れず、将来中国と日本の架け橋となれるように様々な分野において努力と挑戦を続けていきたい。


「友好」のとらえかた

このレポートでは「日中友好大学生訪中団」へ参加した経験から、「友好」の意味について考察する。

私が、中国を訪れたのは今回が二度目であった。一度目は、高校2年生のときの清華大学への短期訪問であった。この時、私は急速な経済・技術発展の様子を見た。これをきっかけに中国に強い興味を持ち、大学入学後は中国語を第二言語として履修したり、中国人留学生と交流したり、現代中国政治の研究会に所属したりと、中国に触れる機会が増えていった。

その延長線上の、非常に貴重な機会として、今回の訪中団に参加させて頂けた。今回も中国の素晴らしさを改めて認識した。中国の方たちとの交流の場を通じてローカルな視点から、中国に存在する人々の雰囲気に焦点を当てることができた。

今回私は、中国の人々の「人間らしさ」が好きで、私に馴染みやすい点だと感じた。言い換えればそれは、「おおらかで分かり易い」様子である。

「中国人は日本人のように遠慮しません。いやなことは「いや」とはっきり言います。」というのは引率の王さんの言葉だ。たしかに直接的な表現は、日本人の感覚からすれば失礼だと受け取られかねない。ただ中国人は分かり易い表現で伝えるということを知った。

私はバスでの移動中に交通の流れをずっと観察していたが、その様子は日本とは大きく異なっていた。割り込む車に対して、後続車は警笛を鳴らし車間を詰めることで対抗していた。街を歩く時、私は何度もバイクに警笛を鳴らされ突進された。これらを批判することもできるが、引率の方々にわけを聞く中で、私は中国国内において皆がこれを受け入れており、さほどマイナスに捉えていないことに気づいた。皆、単に道路上で邪魔な存在に道を開けるように主張しているだけなのだ。自分の進む方向を主張し、いやなものには「いや」と伝えているのだ。

自分の意見を、忌憚なく相手に主張できる環境は素晴らしいと感じた。ここで私が考えたいのは「友好」の意味である。「友好」は単に仲良くすることだけを指すのであろうか。お互いがずっとにこやかにいれるために、相手にとって不都合な内容には一切触れず、ほめ続けることだけを指すのであろうか。私はそうは思わない。互いの問題点を率直に主張、指摘できる環境があり、両者で建設的な話し合いをすること、これが「友好」であると思う。中国の人はこの点をよく理解しているのではないか。

中国は王朝が様々変わる中で、多様な民族を領土内に含み、様々な文化交流が見られた。他者との共存、友好関係を模索するうえで、はっきりと主張する文化が人々の中に受け継がれてきたのかもしれない。

私は、日本人の「友好」の捉え方が、中国人のそれとは異なっているように思う。多くの日本人はそれを、互いが常に気持ちよく、にこやかに過ごせることと捉え、相手へ欠点を伝え改善を促したり、自分の意見を強く押し出したりことは「友好」の破綻だと捉えているような印象を受ける。「友好」を維持すべく、互いの気に障ることを極力避け続ける宥和的な態度をとることは、各人自らの過ちに気づく機会を逸し、不本意な結果を導くことになる。また、周囲からの目を気にしすぎて主体性のない人間を生み出すことにもなる。

日本では、中国人に対する否定的な意見を耳にすることがある。「彼らは空気が読めない」、「彼らは主張が激しい」などだ。しかしそう見られる中国人が未熟ということでは決してない。彼らの生きる社会では「友好」の捉え方が広く、そこには相手との不安定な関係性すらも含有されているということなのだろう。

「日本と中国は引っ越しのできない隣人」という表現を渡航中多く耳にした。隣人ならば近さゆえに様々な問題の影響を受ける。しかし隣人との緊張関係を過度に恐れ、言いたいことを自分の内でため込めば、ストレスにもなるし、それが噴出すれば惨事になる。ここはひとつ隣人にも日ごろ、世間話をする関係性をつくっておき、改善して欲しい点も主張できる仲を構築することが大事ではなかろうか。

このような視点を今回の旅で得られたことは私にとって有益であった。その中で「友好」の意味を考えることができた。味方―敵と峻別することは短絡的であり解決を導かない。その両方の側面を含んで、互いの良し悪しを適切に評価し伝える、そんな関係が「友好」であり、日中間において、私たちがこれから担うことが期待されているものだと考える。


百聞は一見に如かず

今回の七日間の訪中は私にとってとてもかけがえのない経験となった。私は自身の大学で多くの中国人の留学生と知り合い、その過程で中国人の方々の友人に対する気遣いや心の優しさを日々感じられることが多々あった。だが、自身の両親や親戚、他の友人も含め中国や中国人に対してあまり良い印象を抱いておらずメディアの情報だけを鵜呑みにして中国について深く知ろうとする人はほとんどいなかったり、また自身も大学に入学し中国人の友人ができるまでは中国に対してあまり良い印象は無かったりした。そこで、今回の訪中団を通して自身が中国人の友人を通して感じた中国の方々の情の深さを再確認するとともに、中国という国は実際にはどのような国であるのかという実情をこの目で確かめたいと思い今回の訪中団に参加することに決めた。そして、この七日間の訪中を通して実際に中国に対する多くの新たな知見を得ることができたのだが、やはり一番に印象に残ったことは中国人の方々の心の温かさであった。

今回の訪中団に参加するにあたって私は中国を訪れることを大いに楽しみにしていた。だが、訪中の直前になって日中関係が緊迫化し、日中双方のメディアで連日報道がなされ、両親や友人をはじめ私自身も訪中することに対してとても不安であった。そのような緊張した状態で迎えた今回の訪中であったが、実際に出会った現地の方々はとても優しく、また簡単な日本語の言葉を知っていて日本語で話しかけてくれる方も多くいた。上海理工大学と北京第二外国語大学を訪問し各校の学生と交流した際には、「日本語をずっと勉強してきたが日本人に会う機会が今まで一度も無かったため、今回の交流で初めて日本人と関わることができて嬉しい」と言ってくれた生徒がいたり、日本語をとても上手に話し、「いつか日本に行ってみたい」と語る生徒もいたりして、自身が生まれ育った日本を知ろうとし普段から日本語を熱心に勉強してくれている同世代の方が多くいることに私自身もとても嬉しく思ったのである。また、北京の地元のスーパーで買い物をした際に、どの商品を買おうか迷っていたところ、たまたま居合わせた現地の方が日本語で「これ美味しい」と、ある商品をおすすめしてくださり、その後中国語で少し会話をすることが出来た。さらに、レストランで食事をした後の帰り際に「ありがとう」や「さようなら」と日本語で仰ってくださった店員の方々もいた。これらの経験は私が今まで感じた中国人の方々の人の温かさを再認識させるとともに、メディアやSNSが報じている内容とは裏腹に日本人に対しても優しく接してくれたことが何よりも私自身の中で印象に残ったのであった。

今回の訪中団は、中国という国がどのような国であるのかを自身の目で確かめるとともに中国人の方々の優しさを自分の肌で感じることが出来た貴重な七日間となった。「百聞は一見に如かず」という言葉があるが、今回のこの訪中団はまさにその重要性を感じさせるものであった。現在の日中関係は決してとても良いとは言えず、そのため日中双方のメディアにおいて様々な報道がなされ互いの国にあまり良い印象を抱いていない人も一定数存在したり、今回の中国滞在は一週間という短い期間であったために中国について恐らくまだ十分に理解できていない部分があったりするのも事実である。だが、今回の訪中では、自身の拙い中国語でも理解しようとしてくれたり、日本あるいは日本語を熱心に学んでいてくれたり、日中関係がより良いものとなることを願っていたりする方々に多く出会うことができた。この経験を通して、私はメディアやSNSの情報のみを用いて判断するのではなく実際に自分で足を運び自身の目で事実を確かめ、今後も日本と中国双方の人々が相互理解を深めようとお互いに努力を続けていくことが何よりも重要であると感じた。昨年度の2022年は日中国交正常化50周年を迎え、今年度は日中平和友好条約締結45周年という節目の年でもある。これまで日中双方が互いに協力し築き上げてきた日中の友好関係を今後も発展させていくとともに、我々のような若い世代が中心となって学びを深め、自身が学んだこと、感じたことを積極的に情報発信していくことが大切であると私は考える。


訪中レポート

私が訪中団に応募した理由は、中国に興味があったからだ。祖母が中国文化を好きで中国語を習っていて、幼いころから言葉を教えてくれたりした。そのようなこともあり中国に対するイメージは悪くはなかった。しかし近年の報道から監視国家というイメージが強かった。そのイメージは強ち間違いではなかったと思う。というのも、ビザ申請の時点でありとあらゆる個人情報を聞かれ、すべての手指の指紋採取をされた。空港に着いてからは、顔認証や指紋確認を何度もされ、たくさんの防犯カメラに囲まれ、日本とは違うセキュリティ態勢が敷かれているのだと感じた。

他にも実際中国に行ってみて驚いたことがいくつかある。中国でキャッシュレス化がとても進んでいることだ。訪中団では現金を使えるお店しか行かなかったので実際に見ることができたわけではないのだが、上海理工大学で学生にキャッシュレス事情を聞いたところ、現金はほとんど使えないとのことだった。確かに大学内や周りの自販機を見ても、現金は使えず、スマホ決済が主流のようであった。キャッシュレス化が進んでいるとは聞いていたが、ここまでとは思わなかったのでとても印象に残っている。

中国、特に上海の発展ぶりにも驚いた。空港を出てから見える景色はもっぱら現代的な高いビルばかりだった。爆発的な経済発展を遂げているイメージはあったが、想像以上に規模が大きい都市だった。特に上海の夜景は煌びやかで美しく、一生忘れられないだろう。

ただ、そのような経済発展の裏で、ニーハオトイレという昔ながらの公衆トイレは健在だった。紫禁城へ向かう道中どうしてもお手洗いに行きたくなりバスを止めていだいたことがあるのだが、そこにあったのだ。これほどまでに経済発展をしており、今はもうなかろうと思っていたので実際入った時には面食らいつつも感動した。ほかにも中国のトイレ事情には戸惑うことが多々あった。例えばトイレットペーパーをトイレに流せないことだ。さらに洋式トイレが圧倒的に少なく、足腰が鍛えられたような気がする。面白いと思ったのは、紫禁城で入ったトイレでは顔認証で必要分だけトイレットペーパーが出てくる機械があったことだ。盗難防止や紙の使い過ぎ防止を目的としているようだがとても画期的なアイディアで、中国のハイテクな一面を見ることができた。

中国の学生たちとの交流にも刺激を受けた。中国語や日本語、英語の3か国語でコミュニケーションした。私は中国での学生生活や受験事情、インターネットでは調べられないことについて質問してみたのだが案外中国の大学生も日本の大学生と変わらないのだと思った。私が話した大学生は旅行が好きだったらしく、中国国内旅行の写真を見せてくれた。中国のほとんどの省に行ったことがあると言っており、時間があればもっと聞きたかった。その話を聞いてまた、上海、北京以外の中国観光もしたいと感じた。

今回の訪中団で一番中国に対するイメージが変わったのは、北京中日イノベーション協力モデル地区を見学した時だ。この地区は中国企業と日本企業とで協力し、開発することを期待されている所と聞いた。見学した会社は次世代の電池、例えばリチウムイオン電池のようなものを開発している企業のようであったが、日本の企業や大学も協力したようで日中間での絆を感じた。このモデル地区は中国政府が主導して作った所で立地がとても良く、日本以外の外資系企業を誘致し経済発展につなげることを期待しているようだった。普段報道される日中関係は良くない状態のことがいが、実際では日中間の協力で実現できること、できたことがあるのだと知れた。

日本と中国との関係は非常に長く、良好だった時ばかりではない。抗日戦争で日本軍が中国の人々にした惨いことや、侵略しようとした歴史が今後消えることはない。しかし、その反省を踏まえ今後日中友好を続けていくことが双方の国益に繋がることは間違いないと思う。そのために個人レベルで互いの文化を尊重しあうことが重要である。隣国への嫌悪感が大きくなればそれはいずれ民意となり、再び過ちを起こすことになると思うからだ。今回の訪中が自分にとって中国文化理解に役立てることができた。日本と中国が互いに手を取って今後より発展し、未来永劫平和に暮らせることを切に願う。

出会いが導いた訪中

私が中国という国に興味を持ったのは高校3年生の時だった。高校の授業で中国史を学んだことがきっかけで中国の歴史ドラマを鑑賞した。私にとって外国のドラマを見ることは非常に珍しいことだったが、私はその世界観に大いに魅了され、中国の文化、言語、国民性にこれまで以上に関心を寄せるようになった。当時、私は大学でロシア語を専攻したいと考えながら受験勉強に励んでいたが、中国への関心に強さは、進路の変更を考えるほどだった。そして大学入学後は必ずロシア語と中国語双方を学ぼうと心に決めた。

大学では晴れてロシア語を専攻することとなり、私は受験前の念願をかなえるべく第二外国語として中国語を学んだ。私の学科では第二外国語は必修ではなかったが、「中国語を学ばなければ将来絶対に後悔する」と考え、履修したのだ。好きこそのものの上手なれ、とはよく言ったもので、1年間の学習で予想を上回るほど中国語が身についたと感じた。部活やサークルで多くの中国人留学生の友人もできた。私が中国語を学んでいるということを話すだけで彼らはとても喜び、そして進んで教えてくれた。ともに食事をしたり、活動したりする中で、次第に「彼らの母国を実際に見てみたい」という思いも芽生えていた。その感情が私の中国語学習欲をさらに刺激した。

今回の訪中団に参加することになったきっかけは、自らの中国語教員からの薦めであった。私は大学入学以来ずっと同じ先生を信頼し師事してきたが、その先生が私に声をかけてくださった。その時の先生の「橘君が訪中してくれることをとてもうれしく思います。数年後にニコニコしながら、あの時訪中してよかった、と言っているあなたの姿が目に浮かびます。」という言葉は一生忘れないだろうと思う。多くの中国人との出会いが結果として長年の夢であった訪中を実現させたと言っても過言ではないだろう。

日本における中国に対する印象はお世辞にもいいとは言えない。これまでも中国語を学んでいるというだけで何度も心無い言葉を浴びたことがある。歴史的な問題が両国関係の根本に影を落としているのは明らかだが、近年では中国製品に対する信頼性の低下や、原発処理水問題などの問題も相まって、いわゆるヘイトと言われる言葉も数多飛び交っている。こうした言論は少なからず両国国民の感情に影響を与えている。一方で実際に中国、特に本土へ渡航したことのある人はどの程度いるだろうか。実際私が今回訪中することを周囲に話した時、中国へ行ったことがあるという人はほとんどいなかった。私たちはインターネットや報道などのみから中国という国を認識している。両国首脳は「対話」を求める発言を幾度もしているが、多くの国民特に私たちのような若年層が両国の実情を自らの目で確かめることを促進しなければ、対話は始まらないのだろうと思う。

私は今回の訪中において学んだことが大きく分けて二つある。一つは日中は想像以上に似ているということだ。もちろん習慣や言語、政治体制などが大きく異なることは事実である。しかしながら一般の人々は大人も子供も何ら変わらない。100人を超える外国人(私たち訪中団)が来訪した際に興味を示してくること、言葉が通じない時に身振りなどを交えて何とか伝えようとしてくること、さらに私のように自分の好きな事を貫いて勉強に励んでいる学生が大勢いることなどだ。見習わなければならないと感じる点もあった。私たち日本人は外国人観光客が頑張って日本語を使ってコミュニケーションをとろうとしても、英語で話そうとする、もしくはコミュニケーションをあきらめてしまうことが多い。しかし、中国の人々は私たちが中国語を使って話す言葉に耳を傾け、そして他の中国人に対してとまるで変わらず対応してくれた。これはホテルの従業員だけでなく、スーパーやコンビニの人々、バスガイドの方々も同様である。中国語という自国の一文化に誇りがあるからこそであると強く感じた。もう一点は私たちの知らないところで日中の関係強化を求める人々がいるということだ。今回の訪中では、日本人として「見たくない」部分について触れることが多い機会だと考えていた。しかしながら、特に中日イノベーション協力モデル地区においては両国の技術力や人的な交流を基礎として多くの人々が日中関係に新たな価値を見出そうとしていた。日本にいては絶対に知りえなかった点であったと思う。

知らない存在に対して固定観念を持つことは人間として自然なことだと思う。一方でそれが不利益を生んでいるのであれば、新たな視点をもってそれを取り払おうとする勇気も非常に大切であると感じる。「分かつことのできない隣人」であるからこそ、日本と中国が都合がいい悪いに関係なくあらゆる面を見せ、成長しあっていく関係を築くことが求められていると感じる。


内側から見た中国

今回の訪中は直前に処理水の問題が発生したことで様々な制限があり、緊張感のあるものとなりましたが、得られたものは大きく、貴重な経験となりました。今回の訪中で私が最も印象的だったのが中国の方々の優しさです。訪中前に日本で、処理水海洋放出による中国人からの悪質な電話や中国にある日本料理店や学校への嫌がらせなどを連日ニュースで目にしていました。そのため、日本人は歓迎されないのではないかという不安や恐怖心を抱いての訪中となりました。しかしながら、中国での私たち日本人への対応は私が予想していたものとは大きく異なり非常に温かみのあるものでした。

まず、上海理工大学での交流会です。バスから降りると学生の方々が笑顔で歓迎してくれ、日本語で話してくれたことに驚きました。昼食の時に、「你喜欢吃什么?」「你知道ポケモン吗?」「你去过日本吗?」など私の拙い日本語交じりの中国語を真剣に聞いてくれ、簡単な単語ですが中国語で少し会話することが出来たのが嬉しかったです。また、話をしてくれた学生の方はポケモンが好きで、画像を見せてお互いに日本語の名前と中国語の名前を教え合うことが出来ました。北京第二外国語大学との交流でも、急遽交流が決まったのにも関わらず、歌や日本語でのスピーチなどを用意して下さり、先生や学生の方々の優しさを感じました。

次に、レストランやホテルなどの従業員の方の対応です。「お皿が欲しい」や「お茶が欲しい」など私たちの中国語を理解しようと聞いてくれ、また私たちが分かるまでゆっくり何度も話してくれました。交流晩餐会ではアイスの味が知りたくて、「不好意思,这个什么?」と聞くと、味を教えてくれてアイスを取ってくれました。また、お店でお土産を買う際に慣れない中国元で手間取っていると一緒に小銭を数えてくれ、小銭が足りないと分かると少し安くしてくれ、中国の方の優しさや親切心を感じました。更に、急遽乗ることになった飛行機では、団体を受け入れてくださることだけでもありがたいのに、機内食のパッケージを私たちのために作ってくださったと知り、感銘を受けました。

このようなことから、日本にいる時には感じることが出来ない中国の方々の優しさを感じ取ることが出来き、それと同時に訪中前に感じていた中国に対する恐怖心が激減しました。日本で報道される中国関連のニュースは過激で中国に対して悪いイメージを持つようなものが多く、きっと多くの日本人が一度は不信感を抱いたことがあると思います。実際私も思ったことがありましたが、今回の訪中を通して、日本のメディアで報道されているのはごく一部のことであり、親切にしてくださる中国人も、日本のことを好きな中国人も多くいることが分かりました。このように、日本から見る中国と、内側から見る中国では印象が大きく異なり、隣国であり日本との繋がりが強いからこそ、このことを理解する必要があると思いました。また、簡単な会話をすることは出来ましたが、本当に伝えたいことが伝えられない、聞き取れないという言語の壁を目の当たりにし、今後円滑にコミュニケーションを取るために中国語の勉強により力を入れたいと思いました。

最後に、このような貴重な体験をさせてくださった日中友好協会、そして中国の方々などご尽力いただいた全ての方々に感謝いたします。


訪中を終えて

訪中する前、私は中国の方々が日本に対して良い印象を抱いていないと思っていました。政治の面で日中が対立している印象が強かったためです。またそれぞれ普及しているSNSが異なるためお互いのリアルタイムの状況が分からず、情報も閉鎖的になっていると考えていました。しかしながら、実際には私が思うほど反日の人が多いわけではないと感じました。特にそう感じたのは大学との交流です。上海理工大学との交流では、大学に到着した瞬間からとても歓迎されていて大変驚きました。3人ほどのグループごとに活動したためひとりの学生と長時間話すことができました。私の拙い中国語を一生懸命聞いてくれたり、逆に知っている日本語で話しかけてくれたり、どちらでもうまく伝わらないときは英語で会話をしました。会話の中で上海や大学についてはもちろん、日本文化の好きなものについて熱心に話してくれました。彼女が親日家であることをひしひしと感じました。北京第二外国語大学との交流でも主に一人の学生と会話をしました。共通の趣味の話題で盛り上がりました。両方の大学で共通していたのは日本のアニメや漫画が好きな学生が多いという点だと思います。日本に興味を持ったきっかけはたいていアニメ、漫画という印象を受けました。私が交流した学生ふたりもそうでした。アニメの中の日本の景色や学生生活、服などの文化に惹かれたと言っていました。SNSなどでお互いの情報を目にすることが少なくても、漫画や映像から日本に興味を持ってくれる人もいるのだと学び、情報が閉鎖的なのではという考えを見直すことができました。政治に関することは難しいとしても流行りや文化を知る機会はあり、日本へ抱く印象は本当に人それぞれなのだと思いました。中国で関わった学生だけでなく、店員さんなどもとても親切に対応してくれました。日本人差別を日本の情報メディアではよく見ますが、それは日本が悪いところしか見ようとしていないのだと気づきました。やはりネットやメディアの情報だけでは国柄など判断できないと身をもって学びました。ありのままの中国を実感することができたと思います。

今回交流する中で中国人は自分の国や学校の歴史や文化を詳しく理解していると感じました。もし私が逆に日本を案内することになっても彼女らのようにうまく説明できる自信もなければ、そもそも日本のことをそこまで知らないと気づかされました。実際、日本のことを聞かれた時にうまく答えることもできませんでした。他国と交流する際にはその国に対する基礎的な知識はもちろん、自国に対するそれも必要不可欠なのだと学びました。とくに中国と日本は切っても切れない隣国という関係にあります。両国に対して知識とリスペクトを大切にしていきたいです。この7日間は私の人生で唯一無二の貴重な経験をさせていただきました。


思い出に国境は無い

私は訪中前、中国に対して様々な偏見を持っていました。ですが、それは上海に着いてほとんど払拭されました。19年間日本から出なかった自分は、本当に多くの色眼鏡をつけて、大きな隣国である中国を見ていたのだと思いました。

大きく印象に残ったことが3つあります。

第一に、日本と比べ中国はとてつもなく広い国です。最初に訪問した上海市は、2020年に2487万人で、私の生まれた横浜市が6個半分になる規模です。

ちなみに上海市は横浜市と2023年に友好都市連携50周年を迎えており、上海市にとっての初の海外友好都市です。横浜市中区にある本牧市民公園に中国式の庭園もあり、両市の交流は盛んです。

話を戻しますが、中国はとてつもなく広い国なので、自分は「広いだけで実際は何もないのだろう」と思いました。しかし実際バスでの移動で、東京と比べてもそん色ない高速道路網、そして地下鉄があり、本当に驚きました。なぜいままで私はこの国に関して狭い視野で見ていたのかと、驚きました。

そして、ネットサービスの充実です。私は、バイドゥ(百度)やWeChat(微信)などのアプリがあることは前から知っていましたが、電動バイクや自転車のレンタルサービスが充実していて、街中を縦横無尽にかけていく現地の人々が印象的でした。そして、「外卖」とよばれるデリバリーサービスです。北京のホテルにて、ロビーにあるテーブルに色々なチェーン店のご飯がおいてあり、よく見てみると日本でいうところの出前サービスで、調べてみると現地の人々はみんな使っていて、日本よりもはるかに充実していることに驚きました。

最後に伝えたいのが、現地の大学生との交流です。現地の大学である「上海理工大学」で交流しました。そこに参加していた一人の学生と仲良くなり、今でもWeChatを通じて話しています。彼女は日本語が全く分からず、英語と中国語で会話をしていました。自分は英語があまり得意ではありませんが、幸い高校生からずっと中国語を学んでいたので中国語で雑談を楽しむことができました。また、自分がいつもやっている中国発のゲームを彼女もやっていて、ゲームの話で盛り上がりました。一番盛り上がったのは「ガチャ」の話です。くじのように確率でキャラクターを入手できるもので、好きなキャラクターをあてられた時はついガッツポーズをしてしまいます。彼女もとても共感していたので。この時の「思い出」は国境を越えても同じなのだなと思いました。また、北京に到着してから「北京第二外国語大学」の学生と交流し、ここでも同じゲームをやっている学生と仲良くなりました。バスが発車する直前に、自分がそのゲームの話をしていたのを覚えていて、わざわざレクリエーションを楽しんでいるときは席が遠くで話せなかったのに、声をかけてWeChatを交換してくれました。声をかけてくれた時本当にうれしかったです。もちろん、団員との日日友好もありましたが、学生との日中友好もできたので、7日間は本当にいい思い出になりました。

最後に、私が訪中前もっていた偏見はなくなり、本当に素敵な中国を感じることができました。私はクルーズで上海の夜景を見ながら、日本の景色を思いだして、思い出に国境は無いのだなと思いました。

<参考文献>https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/kokusai/kokusai/shimai/shanghai.html


世代による日本へのイメージの違い

訪中を通して私は様々な気持ちを抱いた。今まで自分が抱いていたイメージとかなり違った。上海では高層ビルがそびえ立ち、目まぐるしい速さで経済が発展していることを実感した。衛生面では不便に感じることもあった。1週間という短い時間だったが、中国の良い面も悪い面も知ることができた。

私が訪中した理由は中国文化を体験し、彼らの国民性を知たかったからである。私は高校生の時から中国語を勉強しており、1年生の冬に中国へ行こうとしていた。しかし、コロナにより中止となった。今回中国に行けると決まりとても嬉しかった。そして、世代による日本へのイメージの差があると分かった。そのため、そこで生じた問題を今後どのように乗り越えるべきか述べる。

私は訪中前、中国人が日本に否定的なイメージを持っていると思っていた。なぜなら、戦時中日本は中国を植民地化し、南京虐殺、慰安婦問題など多くの市民を犠牲にしたから。特に、戦争を経験した高齢者やその子どもに当たる世代の方はその傾向が強いと思っていた。さらに、メディアでも反日な報道が多くされているため、若者にもそれが浸透しているのではないかと思っていた。加えて、渡航直前に福島第一原発の処理水放出が起きたため、国民全体に反日感情が高まっていると思っていた。中国に行きたいという期待よりも不安が大きい中での渡航となった。

しかし、学生との交流やレストランでの接客、ガイドさんとの談笑を通して、必ずしも全ての人が反日の感情を抱いていないと実感した。彼らはむしろ、私たちのことを歓迎してくれた。学生は日本のアニメ、映画、食文化、観光スポットなどに興味を持っていた。私がどのようにして日本の文化を知ったのか尋ねると、SNSから情報を得ていると話していた。日本のドラマを見るためにVPNに接続している方もいた。情勢の関係により手に入れにくい情報をどのようにしたら手に入れられるのだろうか、と考えている若者の姿からは将来の両国の関係修復の兆しを鑑みえる。

一方、反日感情を抱いている方もいた根は事実である。テレビ塔に行った時、私たちを見て怒鳴っている50代くらいの男性がいた。私はその時何を言われているのか分からなかった。そのため、中国語がペラペラな方に何を話しているのか尋ねた。すると、彼女は彼が日本への不満を叫んでいたと教えてくれた。その時、私は世代によって情報を得る手段が違うから、日本に対するイメージも変わるのだと思った。若者はSNSを利用し、高齢者はニュースや新聞から情報を得る。これらの媒体はより政府の情報統制がかかっているから、彼らは日本人をうけいれなれないのだと思う。

このような状況下で両国の関係をより良くするには、両国の若者だけでなく、様々な世代の方の交流が大切であると考える。実際に話してみると、日本人、中国人というカテゴリーは意識せず、一人の人間として認識するようになる。そのため、彼らに対するイメージも変わるのではないだろうか。もちろん、過去の歴史に対する相互認識をもち、互いのことを認め合えるようになればいいとも思っている。両国とも平和をめざしているのは同じなのだから、沢山コミュニケーションとり、ステレオタイプを壊していくべきである。中国人は自分の主張を曲げない人と感じた。そのため、彼らと関わる際は彼らの意見に共感つつ、自分の主張をはっきりするべきである。一方、日本人は入念に計画するがあまり実行に移すのに時間がかかる。そのため、中国を急速な経済成長に導いた中国人の決断力と行動へ移す速さを見習うべきである。一方に足りていないところを他方が補うような、協力関係を築くことができれば将来の両国の関係もより一層良くなるだろう。


実際に目で見て体感した中国

私は中国のドラマや映画を観ることが好きで、現代の作品から宮廷時代の作品など、様々なジャンルのものを見てきた中で、やはり実際の中国での生活はどのようなものかを生で実感したいという思いが強くあった。一年次では第二ヶ国語として中国語を選択し学んだこと、そして現在の二年次では中国の生活や経済はどのようなものかを学んでいる最中で、今まで学習してきたことを生かした視点で日本と中国の相違点を見つけたいという思いや、中国の情報を普段なかなか知ることができない中で、私たち日本人と同じ世代の中国の方たちの間ではどのようなものが流行しているのか、何をしているのかを知りたいという思いが強くあった。これらのことを現地で体感することで、私の中にある中国のイメージは実際どう異なるのかを学びたく、今回の訪中に参加することにした。

まず中国へ到着して驚いたことは上海市内へ向かうバスの中から見た街並みである。上海が発展した大きな都市であることは知っていたが、それは市内の一部ではなく、高層ビルやマンションなどの住宅街が街全体に渡り広がっていることにとても感激した。最新技術を多く使用した華やかで近未来的な上海の街並み、そしてこのように大規模な都市が中国全土の中に多くあるという現実にとても感心したと同時に、今まで日本の方が中国より発展していると思っていた自分がいて、その現実に少しショックを受けた。日本で暮らしている中で、ニュースやSNSを通して中国について見ているだけでは実際の中国を知ることができないこと、また短期間で日本ではできないようなこれだけの発展を遂げた中国について、改めて素晴らしいと感じたと同時に、広大な土地や人口の多さにも気づくことができた。

そして4日目の北京で実際に現地のスーパーへ行き、現地の人と関わることができたことも思い出の一つとなった。ここでは日本のスーパーとの相違点を多く見つけることができ、7日間の中で1番驚いたことが一度商品を会計したらスーパーの中に入れないことであった。私も実際に経験したが、買い物が終わり集合時間までに時間があるからもう一度商品を見ようと中へ戻っていったところ、スーパーの係の方に止められたことはとても印象に残っている。日本ではあり得ないことだが、中国ではこれが当たり前のことであるということを知ることができたと同時に、異国の地にいるのに日本の感覚で過ごしてしまったということに反省した。

今回の訪中の中で1番印象に残ったことは、やはり現地の学生との交流である。訪中するにあたり、知りたいことの一つであった私たちと同世代の中国の方たちはどのようなことをしているのかという疑問について、実際に話して感じたのは私たち日本人と変わらないということである。中国の学生は勉強に忙しく、自分の好きなことをする時間がないなど厳しいイメージがあると以前は思っていたが、皆アニメや動画を観ることが好きなこと、現在流行っていることなど共通の話をすることができたことがとても嬉しかった。また現地の学生の日本語力がとても高く、私も更に中国語を話せるように努力しなければならないと思わせてくれるような、とても充実した交流の時間であった。

中国について調べたことや国に対する印象は実際には異なることが多く、直接現地へ行き自分の目で見たこと、感じたことが大切であると今回の訪中によって気付かされた。現地の方たちは気さくで優しく、異なる国から来た私たちに対しても良く接してくれたことがとても嬉しかった。現在、日本と中国はあまり良くない状態にはあるが、どちらの国も優しい心をもつ人が沢山いることに変わりはなく、今より更に良好な関係を築きたいと思わせてくれる充実した7日間を過ごすことができた。


私にとっての日中関係

これまでに、ネットやテレビでたくさんの中国に関する記事やニュースを見てきた。歴史や観光地の特集、政治まで良い報道だけでなく、悪い報道もあった。最近では日中関係が悪化し悪い報道が互いに増えていく中で、私自身中国に対してマイナスイメージを持ったまま訪中を決めた。そんな感情を抱きながら上海についた時、雲は多かったが空が晴れていたことを覚えている。その日の昼はカニの有名な中華料理店でご飯を食べ、歴史ある豫園を巡った後、上海のシンボルともいえる上海タワーを登った。今振り返えると歴史と現代の開発が進んだ建物が入り混じるすごい都市であったと思わされた。

目まぐるしい初日の翌日、上海理工大学の学生との交流会があった。訪中の前に中国人の友人から「向こうでは失礼なことを言われるかもしれない」と断りがあったので、少し身構えていた私だが、バスの外で名前の札を挙げている笑顔の中国人学生を見ると、一瞬で緊張がほどけた。食事中も中国語があまり話せない私を見かねて、翻訳アプリでどうにか会話をしてくれたり、中国の古い楽器を弾いてくれたり、日本のアニメの洋服を着て出迎えてくれた彼らは、想像していた悪いイメージなどとは違って心優しい中国人であった。そして上海最後の夜、黄浦江をクルージングしたことで、団員全員が上海、中国を好きになったことは言うまでもないだろう。

北京国際空港についた時には、中国の旅にも慣れ、学生同士も仲良くなり始めたが、南京虐殺の資料館などを訪問した後は、日本が犯した歴史の過ちを振り返り、何とも言えない気持ちになっていた。しかし、その気持ちを晴らしてくれるぐらいに上海第二外国語大学の学生たちは私たちを歓迎してくれた。一緒にゲームをしたり、ご飯を食べ仲良くなった私は、Wechatの連絡先を交換して、日本語と中国語をそれぞれ教えることを約束した。訪中から約2週間が経った今でも連絡は続き電話もする仲になった。私たちは紛れもない友達になったといえるだろう。北京では生憎の雨で万里の長城や故宮には長く滞在できなかったけれど、何千年も前に造られた建築物が今も残っていることにとても驚いた。

帰国後、私は周りの家族や友人に中国旅行の思い出を話した、不思議と出てくるのは楽しい思い出ばかりだったが、抱いていたイメージとは全く異なった中国を話すのは当然だと思った。なぜなら、私たちはこれからの日中関係を築くときの架け橋にならなければいけなく、日本人が抱いている中国の負のイメージを払拭したいと思ったからだ。

最後になるが、何も問題なく楽しい旅行ができたのは、ただ中国人が優しかっただけではない。日中友好協会で訪中したからいい思い出ができたということは間違いないだろう。この度、私はこの団員として訪中できたことをとてもよく思います。ありがとうございました。


未来への経験」

訪中に参加する前は「中国」という言葉を聞いてもあまり良いイメージがわかないというのが正直なところでした。また、汚染水問題もニュースで聞く機会が増えたため、中国に旅立つのに不安がありました。しかし、今回の6泊7日の日中友好大学生訪中団を通して、中国への印象が180度変わる沢山の機会を得ることができました。そのなかでも印象に残っているのは、上海理工大学のみなさんと交流した日がきっかけです。

学校につくと、私たちの名前の載ったプラカードをもった理工大学の学生の皆さんが笑顔で出迎えてくれました。大学内の標識はもちろん中国語ばかりですが、一生懸命覚えた日本語で歓迎の言葉をかけてくれたり、私たちのために素敵なプレゼントを用意してくれたりしました。初めてきて不安ばかり抱いていた私の心が一瞬でほっとした気持ちになり、感動したのを覚えています。言葉ではうまく表せられませんがそのとき感じた気持ちを一生忘れられません。中国にも日本が好きで日本語を学んでくれる人がいて、日本の文化も理解しようとしてくれる人がたくさんいました。そのことをこの目で見ることができて嬉しかったです。それと同時にあまり良くない印象を持ち続けていたのは私たちのほうであったと気付くことができました。実際に訪れたことのない国のことをどこかで見つけた記事や聞いたことだけの情報で良くない印象をたくさん抱いていました。中国という国は私たちの想像よりも温かさであふれていて、とても素敵な国でした。中国は人だけでなく、技術も発展していました。上海は高層ビルや様々な光を施した建物であふれていて、未来の世界を見ている様でした。また、北京は東京と似ていましたが、世界遺産の万里の長城もあり、はるかにスケールが大きい都市でした。

この訪中団を通して、隣国である中国への印象ががらりとかわったことで、中国の良さを他の人に伝えていきたいと思いました。また、日本と中国の友好関係をもっと良くしていきたいと心から思いました。団長さんが訪中の際に「中国も日本も無理に理解しようとしなくていい、良いとことは良いところ、悪いところは悪いとことして、この目でみたものをありのままで受けとめればいい」と、おっしゃっていました。その言葉のとおり、互いにそれぞれの背景や文化を受け取って、ともに歩んでいければなと思いました。これは、中国にかかわらず、様々な世界、そして人々とつながるときにも大切なことだと思うので、世の中の情報を鵜吞みにせず、自身が体で感じたものを信じて生きていきたいと思いました。この先も中国語の勉強や文化を学び、再び中国を訪れたいです。この訪中の7日間は私にとってかけがえのない経験ができた濃い時間でした。この広い世界でまた一つ好きな国ができたこと、違う言語を話す友達ができたこと、自分の国が好きだと言ってくれる人に出会えたこと、同じ思いを抱いた日本の仲間が増えたこと、わたしたち学生や若者、そして未来のために一生懸命サポートしてくれる方々がいたこと、本当に多くのことを知ることができました。この学びをこれからの人生に活かしていきます。そして私も誰かのため、世の中のために動き、未来の架け橋になりたいです。