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友好訪問詳細

友好訪問まだまだ分からないことが多い。だから、徐福は面白い

2017年6月1日号
田島 孝子(たじま たかこ)さん
日本徐福協会会長 神奈川徐福研究会会長 
田島 孝子(たじま たかこ)さん

神奈川県川崎市生まれ。農業を営む家庭に育つ。家業を手伝う傍ら農業共同組合(JA)の活動にも参加し、JA高津婦人部部長を務めた。農協派遣で中国滞在中に徐福伝説を知り、浙江省・慈渓村徐福記念館の設立などに貢献、現在に至り館長を務める。2012年、中国徐福会から「中国徐福文化貢献賞」を授賞した。(一社)神奈川県日中友好協会女性部会会長

「徐福の伝承を世界無形文化遺産に!」

 昨年4月に発足した「日本徐福協会」の会長として、中国や韓国の徐福団体と協力しながらの世界遺産登録を目指している。同協会は日本に20余りある「徐福会」の集合体。自身は神奈川徐福研究会の代表として参加している。

 徐福は、今から約2200年前に秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求めて中国から朝鮮半島を経て日本に渡ったとされる歴史上の人物。日本にもその渡来を物語る伝説が各地に残る。「まだまだ分からないことが多い。だからこそ面白い」。ロマンに魅せられ、追い続けている。

中国でメロン栽培。「徐福」に出あった

 神奈川県の農家に生まれ育ち、大学卒業後は家業を手伝った。そんな農業中心の生活に徐福が結びついたのは1997年。横浜の農協から中国でのメロン栽培の話を持ちかけられ、引き受けた。「浙江省寧波市にある大樹村でハウスを借りてメロンを栽培しました」
 メロンを育てる中で徐福伝承を何度か聞き、気になっていた。「徐福の遺跡はどこにあるんだろう」。地元政府の役人に尋ねると、収穫したメロンを周辺住民に届けるついでに連れて行ってくれた。「徐福村です」と案内されたのは寧波にある慈渓市(出航地とされる)。心が動かされた。

 夢中な姿を見てか、慈渓の徐福会から声がかかった。中国では、徐福にゆかりのある地域ごとに徐福会があり、そのトップは地元の党書記が務めることも。習近平主席が関心を示したからだとも言われている。当時、慈渓の徐福会は歴史がまだ浅く振興策を模索していた。「徐福をやりたい私と、徐福で盛り上げたい村の思いが一致しました」

 農協の派遣任務を終え帰国するころ、慈渓では徐福記念館の建設が進められ、資金集めで日中間を奔走。記念館は2000年3月に開館し、館長に任命され今に至る。また、100坪ほどある記念館の敷地を利用し、2001年からは地元の学生たちが夜間に日本語を学べる学校を開き、ビジネス会話を教えている。

神奈川県日中とつながり、研究会発足

 2002年、経済交流を目的に慈渓を訪れた(一社)神奈川県日中友好協会の会員が徐福記念館に立ち寄り、つながりができた。同県藤沢市の妙善寺に徐福の子孫の墓があることを伝えると、「県協会の中に徐福研究会をつくろう」と意気投合。翌年に発足した。

 「徐福ゆかりの場所は日本各地にありますが、どこで交流しても、私たちと同じような好奇心旺盛な人たちばかりで楽しい。いわゆる〝徐福バカ〟ですね(笑)」

 当面は世界遺産申請の準備に忙しい。「登録されればもっと知ってもらえる」
 ふくらむ期待に活動は熱を帯びている。  
(北澤竜英)