会報『日本と中国』

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友好訪問詳細

友好訪問粘り、つや、香り。日本のご飯に近づけようと炊いているが難しい

2017年4月1日号
村嶋 孟(むらしま つとむ)さん
「銀シャリ屋ゲコ亭」創業者 
村嶋 孟(むらしま つとむ)さん

1930年大阪・堺市生まれ。63年に大衆食堂「銀シャリ屋ゲコ亭」(堺区新在家町)を開業。ご飯のおいしさが評判となり、全国各地から料理人や飯炊きの極意を追求する人が訪れる。その飯炊き技術を研究して取り入れた炊飯器が象印マホービンから販売されたことも話題になった。店は今も開業中

 大阪・堺市にある大衆食堂で飯を炊き続けて50年以上。「ご飯が旨い」との評判が広がり、いつしか「飯炊き仙人」と呼ばれるようになった。近年、大阪でも急増している中国人観光客が「堺の飯炊き仙人」などとブログで紹介すると、その評判は中国商務省の関係者にまで届いた。「イベントでぜひ米を炊いてほしい」。堺市を通じて依頼を受け、2つ返事で引き受けた。「飯炊き」を通じた交流活動の始まりだった。2015年12月のことだ。

体に染み付いた50年超の「技」

 「日本から釜だけを持参して、一発勝負で炊いた。中国の米を炊いたのは初めて。まあ大変やったよ」

 翌16年1月に北京で行われた、そのイベントのテーマは「一杯の白いご飯」。中国全土から寄せられた米を炊いて、どれがおいしいか順番をつける。主催者側の要望だった。「そんなのかわいそうでしょう? だから、全部の米をブレンドして炊いたんよ」。愛嬌たっぷりの笑顔で語った。

 堺で生まれ、堺で育った。戦中、戦後を経験し、「食いっぱぐれのない仕事をしよう」。1963年に大衆食堂「ゲコ亭」を開業したのは33歳の時だ。

 以来、飯炊き技術を磨いて50年以上だが、本人にその自覚はあまりない。「ガキの頃から母親を手伝い、米を炊いていた。研究はしていない。納得のいくものをつくってきただけ。あとは思い入れと水。水のええところは、飯も旨い。堺はもともと水がきれいで、造り酒屋も多かった場所。昔からずっと井戸水を使って米を炊いてきたからな」。米の研ぎ方、微妙な水加減など、自覚がないのは、そ

うした「技」が感覚として体に染みついているからだ。

中国商務省からの協力要請に応えた

 北京のイベントで振るまったご飯が好評だったことで、商務省から改めて長期のプロジェクト参加を要請された。「機会を与えてくれたことに感謝。勉強のつもりで挑戦したい」

 昨年5月、活動拠点をいったん中国へ移した。東北3省を訪れ良質の米を探しながら飯炊き技術も伝えた。一方で、「飯炊き短期講座」には1週間で1千人の応募があったという。

 中国製炊飯器の開発に参考意見を出すことも。かつて日本の家電メーカーに協力して、炊飯器を監修したことがあったからだ。中国では今、日本の炊飯技術が高く評価されている。最近では中国人観光客が日本の炊飯器を大量購入して持ち帰ることも多い。

 「一に水。二に水、三に水。でも、中国は水が良くない。これだけはどうにもならんぞ、と言っている。粘り、つや、香り。日本のご飯に近づけようと炊いているが、なかなか難しい」

 御年86歳。飯炊き仙人の挑戦は続く。 
(北澤竜英)