会報『日本と中国』

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友好訪問詳細

友好訪問自分たちが楽しんできたからここまでやってこられたんです

2017年3月1日号
田井 光枝(たい みつえ)さん
日中文化交流市民サークル‘わんりぃ’代表 
田井 光枝(たい みつえ)さん

1935年東京の深川生まれ。戦争中は水戸郊外の母方の実家に疎開。お茶ノ水女子大学教育学科を卒業後、日米会話学院で英会話を学び、国際会議の事務局などを手伝う。28歳で結婚し4人の子供を育てる。中国雲南省の少数民族の服飾文化に出会い中国文化に興味を持ち、日中文化交流市民サークル‘わんりぃ’をPTA仲間と立ち上げ、現在に至る

 ’わんりぃ’といっても知る人ぞ知る、という感じではないか。受賞の件でインタビューを申し入れたところ、「賞をくれるなら、10年前にほしかったわ。こんな年寄りになってからなんて」と、ユーモアたっぷりの答え。会えば、なんだか童女のような若々しい感じなのである。

留学生たちに活動の場

 「ちょうど天安門事件の後、1990年代の初めですね。京劇の俳優さんや中国民族音楽の演奏者、絵描きさんたちなど、芸術を志した中国の若者がバブル期の日本に自分の未来を託して大勢来られたけど、なかなか居場所がなかったんです。そんな人たちに、長い間学んだものを発表する機会を作ろう」と主婦業の傍ら仲間と始めたのが中国語講座や気功太極拳講座、京劇講座だった。

 「3つの講座の連絡のための会報の必要が生じました」。答えはいたってシンプルだが、始めるとエネルギッシュに活動するタイプ。東京は深川生まれの気っ風の良さ。「塀から飛び降りろと言われれば飛び降りちゃう下町娘」だったという。

 92年、会報は「会のおたより」として出発したが、京劇鑑賞会や中国民族演奏会、展覧会などの開催で地元の町田市鶴川に留まらない活動の広がりから、98年に会報の名前を「わんりぃ」に変更した。‘わんりぃ’とは「万里の長城」の万里の中国語読みである。

 2月と8月は休みだが、それ以外は毎月発行し部数も350部ほど出している。会員は現在79人。原稿から印刷、発送まですべて会員の手作りで、今年の新年号で220号になった。

 内容は、北京や大連、長春、フィリピン、スリランカなどの旅のエッセイや滞在記。論語や漢詩、東西文明の比較、中国の笑い話、〈お母さんの愛を味わう 中国おやきの会〉という名の料理の会やコンサート、写真展など、会員たちの活動報告が満載だ。中国関係の展示会などの告知記事も載っていて、なんだか頁を繰るだけで楽しくなってくる。

遊び心でやってきた!

 受賞理由も、地域に根付いた長年の草の根交流にある、と言われるだけあり、在日中国人芸術家や留学生との交流など‘わんりぃ’の会員たちの活動の積み重ねが評価されている。

 「なんで続いたかというと、自分たちが楽しんできたからです。何かのために頑張って力を出すとか、という気持ちは全然ないんです。とにかく知らない世界を知ることが楽しくて、その遊び心でやってきました。会員たちも遊ぶのが好きな方たちで、皆で興味あるほうにどんどん突っ走ってきて年数が重なったというのが本当のところですね。日中友好に貢献したなんて気持ちはないし思ってもいない。こんなこと言うと、授賞式で蹴飛ばされるかしら(笑)」。最後まで笑いを誘う遊び心は健在だ。
(大類善啓)