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友好訪問詳細

友好訪問「絶対に戦争をしてはならない」という父の思いを受け継ぐことが私の使命

2016年12月1日号
伊東 秀子(いとう ひでこ)さん
弁護士
元衆議院議員
伊東 秀子(いとう ひでこ)さん

1943年、満州(現中国東北地方)生まれ。東京大学文学部卒業後、東京家庭裁判所調査官を経て司法試験に合格し、1981年に弁護士登録。90年からは衆議院議員を2期務めた。2016年6月、戦犯だった父の苛酷な体験や平和への思いを自筆の供述書をもとにまとめた『父の遺言』(花伝社)を上梓。マスコミ取材が相次ぐなど大きな反響を呼んでいる

「父の遺言」を守り、日中友好に尽力する

 6月に上梓した『父の遺言―戦争は人間を「狂気」にする―』では、戦時中の満州で憲兵隊長を務めていた実父(上坪鉄一氏)が関与した戦争犯罪を赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。シベリアと撫順で12年間に及ぶ抑留生活を体験した父は、1987年に85歳で亡くなるまで、ほとんど戦争について語る場面はなかった。「父が帰国したのは私が中3のとき。多感な時期でしたし、自分から聞くこともありませんでしたね」

父の遺言には平和と日中友好への強い思い

 生前の父は口癖のように「私は死刑になって当然だった。なのに、こうして帰してもらうことができた。本当に中国には足を向けては寝られない」「戦争は絶対にしてはならない」と言い続け、「戦争をしないよう、日中友好のために、力を尽くしなさい」と遺言に思いを託した。その後、本業が多忙を極めたこともあり、「父が関わった戦争」とは距離を置いたまま月日が流れたが、2010年6月に知人や兄、姉らと撫順の戦犯管理所を訪問した際、「人生が一変するほど」の衝撃を受けた。

 「父が特別軍事法廷で裁判を受けたときの起訴状を偶然に見つけ、そこには父が七三一部隊に中国人22人を送った、と書かれていたのです。戦犯だったことは知っていたものの、まさかあの七三一に関係していたとは。父のドキュメント番組を制作していた兄と姉は知っていたのですが、その番組を見ていなかった私は血の気が引く思いでした」

父の七三一への関与を知りショックで茫然自失

 撫順のあと、ハルビンの七三一部隊記念館を見学し、生々しい展示に触れると、抗日戦争犠牲者に対する申し訳なさで足が棒のように硬直し、帰国までの4日間、寝込んでしまった。

 記憶の中の誠実で優しかった父の姿と、七三一部隊に多くの中国人を送っていた戦犯である父が結びつかない。苦悶の日々を過ごすうち、関係者から戦犯45人の自筆供述書が送られてきたが、それを見る勇気はなかった。しかし、番組のビデオを見た中学1年生の兄の孫が、曾祖父に当たる父のことを調べ始めたのに触発され、ついに供述書を開いた。そこで父が裁判前、自身の罪を重くするような補足文書を提出していたことを知った。「弁護士の立場から言えば、考えられないこと。それだけ認罪の意識が深かったのでしょう」

 「戦争をしてはならない」と繰り返す父に、「日本には憲法9条があるから大丈夫」と反論したことがある。そのとき父は強く否定した。今、父の危惧が現実になろうとしており、それが執筆の原動力となった。

 「書くことで父の気持ちとつながりました。今は〝戦犯の娘〟でよかったと思っています。『戦争をしてはいけない』と声を上げ続けていくことが私の使命です」
(内海達志)