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友好訪問詳細

友好訪問「芸術の道を示してくれた田漢先生の視線は常に大衆にあった」

2016年11月1日号
田 偉(でん い)さん
芸術家
東方文化芸術団団長
田 偉(でん い)さん

湖南省長沙市生まれ。湖北芸術学院で音楽、舞踊、京劇を学び、1988年に来日。95年の阪神・淡路大震災で被災し、翌96年にチャリティコンサートを開催。同年東方文化芸術団を設立した。兵庫県を中心に日中両国で公演活動を展開中。兵庫県ふれあい祭典奨励賞、兵庫県赤十字感謝賞受賞。著書に「田漢 聶耳 中国国歌八十年」など。元神戸華僑総会常任理事、NPO法人田漢文化交流会理事長

中国国歌作詞の田漢の姪、来日28年
故郷・長沙で開催の交流会議に参加

 中国国歌『義勇軍行進曲』の作詞で知られる劇作家、田漢の姪。来日28年。芸術団を束ねて日中友好活動を行う。明るい人柄とあふれる活力に人が集まる。

 湖南省出身。田漢の弟で湖南芸場館長だった父と、劇団女優の母との間に生まれた。芸術一家に育ち、湖北芸術学院(現武漢音楽学院)で舞踊と音楽を学び、卒業後は国立の湖北歌舞団でプロの舞踏家として活躍。その後の北京生活を経て、1988年に神戸市出身の華僑である夫との結婚を機に来日した。

阪神・淡路大震災で被災。人生の転機に

 転機となったのは1995年1月の阪神・淡路大震災。被災して心に傷を負い、避難生活を送った。周囲と助け合う中、人生を変える出来事が起こった。

 被災者の依頼を受け、震災1年となる96年1月17日にチャリティー慰問コンサートを開催した。中国から芸術家10人を招いて仮設住宅で実施。芸術活動から長く離れていたが「使命かもしれない」。心が動いた。

 涙を流し喜ぶ人たちを見て、〝人との絆〟〝芸術の力〟を改めて痛感した。継続的な活動を望む声が多く、夫と共に「東方文化芸術団」を設立。「被災者の一人として、自分も何かがしたかった」。芸術団は学校、老人ホーム、公民館など、要望があればどこでも駆けつけ公演を行った。収益は義援金として日本赤十字社に寄付した。

 「人生は本当に不思議。人との出会いが私を変えた」。プロの演奏家や地元の芸術団なども出演するようになり、チャリティコンサートは回を重ね発展。これまで45回を超えている。

神戸を中心に交流広げ 「友好親善大使」に

 「文化や芸術はけっして一部の芸術家だけのものではない」。支えとなるモットーは芸術の道を示してくれた田漢から学んだという。「田漢先生の視線は常に大衆にあり、庶民を念頭に芸術活動を行っていた」

 公演活動以外にも、中国語や中華料理の教室、二胡や民族舞踊の教室を開くなど積極的に日本社会に溶け込んで交流の輪を広げた。日本留学時代に谷崎潤一郎ら文化人たちと親交を深めた田漢の姿と重なる。

 2012年、兵庫県知事から「友好親善大使」に任命され、日中の懸け橋としての一連の活動が評価された。兵庫県日中友好協会の活動にも関わってきた。

 今年8月、住み慣れた神戸を離れ活動の拠点を東京に移した。そうした中、協会が中国側と開く第15回日中友好交流会議が故郷の長沙市で開催されると知り、参加を即決。「中国と日本という、2つの祖国をもつ私だからこそできる友好活動がある」。新天地での新しい出会いと交流に目を輝かせる。
(北澤竜英)