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友好訪問詳細

友好訪問「相手を理解する努力を怠らない“知日派”を育てたい」

2015年12月1日号
徐 一平(じょ いっぺい)さん
北京日本学研究センター所長
徐 一平(じょ いっぺい)さん

1956年北京生まれ。北京外国語学院で日本語を専攻、その後日本語教師研修を目的とした北京語言学院(現北京語言大学)の「大平学校」を経て、83~89年に神戸大学へ留学、言語学の分野で修士号と博士号を取得。帰国後、北京外国語大学日本語学部に講師として就任、94年から同センターに勤務

日本語教育に心血を注ぐ“大平学校”の第2期生

 日本語と日本研究の拠点「北京日本学研究センター」が今年設立30周年を迎えた。

 同センターの運営は中国教育省と日本の国際交流基金が共同で行い、日中交流に携わる人材を育成する場として外交官や日本語教師、日本研究者など日本関連の専門家を多く輩出する。日本関連の蔵書17万冊を備える内部の図書館は、日本からの客員教授も驚く規模と質を誇る。そのセンターの長を務めている。

小学生から日本語を特訓した

 日本語との出会いは早かった。父親がエンジニアという知識層の家庭に生まれ、小学3年生の時に語学の専門家を育成する北京外国語学校(後に首都師範大学と合併)へ両親の希望で入学。数ある言語の中から振り分けられたのが日本語クラスだった。そのまま日本語の習得に力を注ぎ、高校卒業と同時に日本語教師となった。

 文化大革命が終わった年に21歳。翌年行われた大学受験に挑み、合格率数パーセントという熾烈な競争をくぐり抜け、北京外国語学院(北京外国語大学の前身)に入学した。その後日中友好の機運が高まり、教育に熱心だった故大平正芳首相(当時)の提案で中国初の日本語教師の再教育コースが1980年に開設。後に多くの日本語学習者から“大平学校”と親しまれたこの教育機関がさらに発展してできたのが現在の北京日本学研究センターだ。“大平学校”の第2期生として入学、その後6年の日本留学を経て博士号を取得した。

日本との関わり50年近く

 「もうすぐ還暦。日本との関わりは50年近くになります」と微笑む。この歩みの中で迷いはなかったのか。「幼い頃から算数が得意で、高校で文系に進む時、数学の授業がなくなるのが本当に残念でしたね。でも当時は分配制度の時代。自分に割り当てられた役割を全うすることに迷いはありませんでした」。柔和な顔立ちに、一筋の強い意思が光る。「私たちの世代は、“干一行、愛一行(自分の職業を大切にする)”ですよ」と教えてくれた。

 日本留学から戻ると、現職でもある北京外国語大学日本語学部教授に就任。現在まで一貫して日本語教育に心血を注ぐ。一方、開設30年を経た同センターでは学びの領域が広がり、学生の専攻も多様化しているほか、香港や台湾、韓国など東アジアの日本研究を軸にした枠組みでフォーラムを開催するなど多くの変化を迎えている。「どんな専攻を選ぶにせよ、学生には知日派になれと言っています。それには相手を理解する努力を怠ってはいけません」

 日中間で、昔のイメージはまだ根強く残る。それを乗り越えるのも知日派、そして知中派の役目だ。言葉の習得の先にある未来を目指し、今日も教壇に立つ。
(吉井忍・フリーランスライター)