会報『日本と中国』

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友好訪問詳細

友好訪問「日本の若者が中国をどう思っているのか。聞いてみたい」

2015年9月1日号
李 源(り げん)さん
中国国際図書貿易集団有限公司 東京連絡事務所所長
李 源(り げん)さん

1986年陝西省生まれ。高校卒業まで同省で過ごし、2004年に中国人民大学進学のため北京へ。08年同大学日本語科卒業。11年同大大学院を修了し現在の会社に入社。幼いころから肉を食べないベジタリアン。泳ぐことが好きでたまに都内のプールへ行く。姉と二人きょうだい

中国書籍の日本輸出入をサポートする連絡役

 日中間の書籍・雑誌の輸出入業務の連絡役を担当。北京の本社から東京事務所の所長として昨年10月に赴任した。28歳とまだ若い。駐在員は一人。同僚はいないが、事務所は人民中国雑誌社東京支局と同じビルにある。日本の生活には慣れつつあるが、住まいも同じビルの中に。「仕事とプライベートの境目がないんです。なかなか、リラックスできません」と悩みを打ち明け、少し笑った。

希望どおりではなかった日本語科

 陝西省宝鶏市にある岐山県で生まれた。「小さな町です」と言うが、周王朝発祥の地として歴史は古い。

 「岐阜県の『岐』は岐山から由来しています。織田信長が鳳凰が舞い降りたと伝えられる岐山の『岐』と、孔子の生誕地である曲阜の『阜』を合わせて命名したそうです」。幼いころから「岐阜県」という地名は知っていたという。

 性格はどちらかと言えば文化系。183cmと長身だが、テレビゲームが好きな「日本で言う“オタク”」だったと照れながら話した。日本のゲームにも慣れ親しんだが、とりわけ日本に関心を持って育ったわけではないという。ではなぜ「中国人民大学日本語科卒業」なのか。尋ねてみると 意外な答えが返ってきた。

 「経済か経営の学科を希望しましたが試験の点数が及ばず日本語科に割り振られました」。人民大学は語学を目指す学生が集まる大学ではなかったため、当時のクラスメートのほとんどが同じ境遇だったという。

 「でも抵抗感はありませんでした」。日本人留学生に教わったり、苦心して古典の暗誦に取り組んだりと思い出を振り返った。大学3年時の2007年に研修で初来日し企業の見学などを体験した。日本への関心は徐々に高まっていった。

日中交流につながる仕事に「意味」感じて

 日々の仕事は、日本の得意先である書店や出版社と本社との取引をサポートし、円滑にさせること。落丁本が出るなど問題が起きればすぐに対処する。もちろん、得意先にも頻繁に足を運ぶ。情報交換などコミュニケーションを取ることも仕事の一つで「欠かせません」と話す。

 「中国も日本も、現在は紙媒体業界が苦境です」。得意先の注文が減少すれば会社の業績にも影響するため、仕事の傍ら自主的にアンケートを作成し、在日中国人の「読書状況」を調査している。多忙で長期休暇も取れない毎日だが、仕事そのものが日中民間交流の促進につながっているという「意味」を感じている。

 「日本の若者は、中国や中日関係についてどう思っているのか。何かの機会があれば聞いてみたい」

駐在任期は3年。日本の最新情報を本社へ伝えることも仕事の一つだと心がけているようだ。
(北澤竜英)