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友好訪問詳細

友好訪問「“砂浜柔道”をスポーツとして広め、いつか五輪競技の一つにしたい」

2015年2月1日号
日中友好青島柔道館総監事 王 華(おう か)さん
日中友好青島柔道館総監事
王 華(おう か)さん

1984年山東省青島市出まれ。1998年から2003年まで中国の柔道ナショナルチームに所属。04年から06年の2年間、国際武道大学で柔道と日本語を学ぶ。その後の、07年4月から12月まで、09年10月から10年3月までは認定NPO柔道教育ソリダリティーの研修生として東海大学を中心に日本の柔道指導法を学んだ

青島で子どもに柔道を教える元中国代表選手

 山東省青島市にある「日中友好青島柔道館」で中国の子どもたちに柔道を教えている。

 同館は外務省の草の根文化無償援助と、協会顧問でロサンゼルス五輪柔道金メダリストの山下泰裕氏が理事長を務める認定NPO柔道教育ソリダリティーの働きかけによって2007年11月にオープン。開館当初は5人しかいなかった生徒も、現在は110人超が稽古に励んでいる。

 「自分の子どものように接し、あいさつや礼儀など柔道の基礎から教えています」。中国での柔道人気は「これからです」と期待を寄せる。

 青島市出身。子どもの頃から同級生に比べて背が大きかった。もとは重量挙げをやっていたが、どんどん背が伸びてしまい、コーチから体重制限のある重量挙げは「無理だ」と判断された。そこで連れて行かれたのが柔道場だった。

 「このスポーツはなんだろう?」。のぞいてみると、白い道着を着た人同士が投げ合っていた。それまで柔道というスポーツを知らず、第一印象は「怖かった」という。1996年、12歳の時だ。

 「最初は好きになれなかった」が、青島での柔道普及の第一人者でもある恩師の徐殿平先生(日中友好青島柔道館館長)の指導の下、メキメキと力をつけた。2年後には、中国ナショナルチームの強化指定選手に選ばれた。

国際武道大などに留学「柔道の心得」を学んだ

 しかし、けがが原因で03年に現役を引退すると、翌04年から2年間、国際武道大学(千葉県)に留学し、日本語をゼロから学びながら“本場の柔道”を体に叩き込んだ。

 「留学時代は何でも楽しかった」。“寝技の神様”と言われた柏崎克彦・国際武道大学教授(81年、世界選手権優勝)や山下泰裕氏らと出会い、直接指導を受けたことで柔道の奥深さを知ったのもこの時。

 「中国で教わってきた柔道とは全く違うと感じました。あいさつから始まる礼儀など柔道を通じた“人間教育”を教わりました。柔道に関わる先生方は、すばらしい人ばかりだと思いました」

 スポーツとしてだけでなく、柔道と向き合うための「心得」を学んだことで、柔道の魅力を再発見した。それは「体力的にもつらかった」印象が強く残る中国での稽古とは大きく違っていたという。

 その後も2度、柔道教育ソリダリティーの研修生として日本に留学し、帰国してからは“柔道の精神”を青島の子どもたちに伝えている。

「砂浜から世界へ!」を目標に指導に励む

 そうした中、目標にしているのが「砂浜から世界へ!」。恩師の徐先生が柔道普及を始めた頃、まだ青島には畳(たたみ)の道場が無く、砂浜で柔道の稽古をした。あれから30年が経った今も、これをスローガンとして掲げ、柔道普及に努めている。昨年7月には砂浜柔道全国大会を青島で開催した。

 「“砂浜柔道”をスポーツとして広めることを目標にして頑張っています。いつか、柔道と同じように五輪競技の一つにしたい」
(北澤竜英)