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友好訪問詳細

友好訪問「『個』として『人間対人間』の交流を心掛ければ、より率直に話し合える」

2014年12月1日号
国際コラムニスト 加藤 嘉一(かとう よしかず)さん
国際コラムニスト
加藤 嘉一(かとう よしかず)さん

1984年静岡県生まれ。山梨学院大学附属中学高等学校を卒業し単身で北京大学留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。日中英の3カ国語でコラムを書く。ニューヨーク・タイムズ中国語版コラムニスト。中国版ツイッター(新浪微博)のフォロワー数は150万以上。復旦大学新聞学院講座学者などを経て12年8月に渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員。趣味はマラソン。

“ガチンコ個人外交” で中国と向き合ってきた

 思ったことをストレートに口にする“ガチンコ(真剣勝負)”の議論を好む、若手の論客。

 約9年半の中国生活を通じ「中国で最も有名な日本人」と言われるほどに。現在は米国に滞在し、ワシントンに拠点を置く。このほど、米中生活での体験をつづった著書『たった独りの外交録』を刊行。日中、米中、そして日米中の複雑な国家関係を見つめ続ける。

 静岡県生まれ。幼い頃から自己主張は強く、友だちを束ねては、考えたことを口にするタイプ。小学5年生の時に父親の仕事の都合で山梨県へ引っ越すと、中高は一貫教育校に進学した。駅伝部に所属しながら、「国連職員になりたい」という夢を抱き、英語の勉強にも励んだ。

 「卒業したら外へ出たい」。レールに沿った人生には抵抗感があった。本当は欧米に行きたかったが、父親が始めた事業が失敗し、経済的な理由で断念。そこで考えついたのが物価の安い中国だった。

 「中国語も国連公用語の一つという理由もあったが、何よりも大きかったのは、決まったばかりの2008年北京五輪の開催」。北京大学への留学を決意し、高校卒業と同時に中国へ渡った。03年春のことだ。

違いを見いだすためにためらわずに言う

 話せないし、金もない。ストイックかつがむしゃらに向き合った中国語は、3カ月ほどで一定の成果を得る。常に辞書を持ち歩き、『人民日報』を訳し、ラジオを聞く。毎日5時間、アイス屋のおばちゃんとの雑談に意図して挑んだ。中国語を翻訳するアルバイトもやった。「やるしかない」。とにかく必死だった。

 中国語で思いを伝えられるようになると、05年頃から執筆やテレビ出演など、メディアで発言する機会が増えるようになる。ためらわずにズバズバと言う、持ち前の発信力に目を付けた知人たちが勧めてきたのが始まりだ。

 その後は、中国各地の大学を講義して回っては、中国の学生たちとガチンコ議論を楽しんだ。敏感な社会問題も臆せず取り上げ、物議をかもすことも少なくはなかった。

 「可能な限り、自然体で『人間対人間』の交流を心掛けた。本当の意味で分かり合うために、歴史も、領土もガンガン言う。そうしないと、真の相互理解などあり得ないと思うし、(日中の考え方の)違いを見いだすためにも必要なことだと思う」

これからの時代は「個」として勝負せよ

 政府の見解、社会の世論、日本人としての立場などがあっても、「最後は自分がどう思っているのか」。「『個』としてどう勝負できるのか」が大切だと説く。その姿勢は日中交流にもつながるという。

 「日中交流に関わる人は、2つの意識を持つべきだと思う。まずは、人間としての意識。日本人だ、中国人だ、という前に一人の人間として、『個』としてふるまう。そして次に、国民(日本人)としての意識。自分の言動、行動が、中国の人たちの対日イメージに影響するかもしれない、ふるまい方によっては印象が変わりうるんだ、という国民としての意識を持つ」

 「個」としてふるまい、相手の「個」を認める。「人間対人間」を意識して中国人と付き合ってこそ「より率直な話し合いができる」。18歳で中国へ飛び込み、ガチンコで「個」を磨いて得た一つの答えだ。

 「自分はどういう考えを持っていて、どういう問題意識で、何をやろうとしているのかを示す。まずは『個』として勝負する。これからの時代の一つの生き方だと思う」

 これから中国に関わりたいと考えている若者に、特に伝えたいと話した。
(北澤竜英)