会報『日本と中国』

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友好訪問詳細

友好訪問「相互理解にはやはり“直接交流”が大事。多面的なイベントで環境を作りたい」

2014年10月1日号
第3代在青島日本国総領事 遠山茂(とおやま しげる)さん
第3代在青島日本国総領事
遠山茂(とおやま しげる)さん

1954年神奈川県生まれ。78年大阪外国語大学中国語学科中退、同年外務省入省。北京語言学院、遼寧大学での語学研修を経て在中国日本国大使館(一等書記官)、上海と重慶の各総領事館(領事)、瀋陽の総領事館大連駐在官事務所(所長)を歴任した。このほか、在ボストン領事や中国向け円借款業務(有償資金協力課事務官)など幅広い任務をこなす。地域調整官(2011年)、大臣官房総務課警備対策室長(13年)を経て、今年8月から現職

新総領事として9月に青島に赴いた

 8月に在青島総領事に就任。昨年3月まで外務省中国・モンゴル課の地域調整官を2年務め、スピーチコンテストや新年会など協会行事にも多く参加し馴染みが深い。9月の赴任を前に事務局に来訪。今回は単身で行くという。「フットワークを軽く、じっくりと交流したい。日本人、中国人にこだわらず、個人的な付き合いも深められれば」

 総領事として青島に赴く心の準備を支えるのは、通算15年におよぶ中国駐在経験。初訪中は外務省に入省後で、改革・開放政策が始まった直後の1979年から、まずは語学研修として赴任した。その後は北京の日本大使館を皮切りに上海、重慶、大連と各総領事館などで経験を積んだ。「沿海地方だけでなく、内陸も見れたのは良かった」。上海では総領事館に詰めかける大規模な反日デモを体験し、重慶では四川大地震発生後の邦人の安否確認に奔走。紆余曲折する日中関係の「複雑さと難しさ」を感じたという。

中国語を学ぼうと決心した2つの背景

 中国語を始めたきっかけをさかのぼれば、72年に行き着く。生中継された田中角栄首相の訪中の模様を目にし、世間が日中国交正常化に沸く中で中国語をやろうと決心した。「これから、中国との交流はいろいろな分野で幅広くなる。中国に関係する仕事も増えるはず」。そう思った。高校2年生の時だった。

 一方で「決心するだけのそれなりの背景もあった」という。一つは横浜で生まれたこと。子どもの頃から周囲には中国人や欧米人が少なくなく、学校のクラスには華僑の子どもが何人かいた。そのため、外国人と接する機会が比較的多い環境で育った。

 もう一つには父親の影響があった。祖父の仕事の関係で父親は少年時代を北京や旧満州で過ごしたという。「父はお酒を飲むと聞き取れない言葉を話した。後に中国語だと分かりましたが、今思えば相当なまりが強かったですね」

 高校卒業と同時に家族は大阪へ引っ越し、大阪外国語大学(現大阪大学)の中国語学科に進学。父親が勧めたわけではなく、自らの意志で選んだが、「実はあまり真面目に授業に出てなかった」と照れながら明かした。大学時代に精を出したのは中学、高校と続けていたサッカー。「それでも中国語だけはしっかりやろうと、短波ラジオの『北京放送』を夜遅くまで聴いた。生の中国語は当時とても貴重で、(ラジオの)音が悪かったので、録音しては何度も何度も繰り返し聴きました」

重慶で実感した草の根交流の大切さ

 学んだ中国語を生かし、外交官としてこれまで多くの日中交流と向き合ってきた。

 「重慶駐在の時、久々に年甲斐もなくサッカーをしたら、翌日体が痛くて動けなくなった。以前に名刺を交換した程度の中国人の医者に連絡をすると、わざわざ自家用車で飛んで来てくれた。どうしてそこまでと思って話を聞くと、彼は数日前に仕事で初めて日本を訪れ、『日本や日本人のもてなしに感激した』という。『だから迎えに来た』と理由はそれだけでした」

 「全体に何かを働きかけることも大事ですが、草の根レベルの交流で1人ずつ“日本ファン”を増やすことの大切さを実感しました」

 総領事として「現地の邦人や日系企業のサポートを最優先にやる」としながらも、交流促進にも意欲を見せる。「(両国民の)相互理解はまだまだ不十分。1人でも多くの中国人に日本を正しく理解してほしい。それにはやはり“直接交流”が大事。文化や観光など多面的にイベントも行い、人々が交流しやすい環境を作りたい」
(北澤竜英)