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友好訪問詳細

友好訪問「試練の時期こそ「文化交流とは何か」を見つめ直す。交流の質が大切になる」

2014年5月1日号
作家 黑井千次(くろい せんじ)さん
作家
黑井千次(くろい せんじ)さん

1932年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。富士重工に15年勤務し70年退社、文筆活動に専念。69年『時間』で芸術選奨新人賞。84年『群棲』で谷崎潤一郎賞。2001年『羽根と翼』で毎日芸術賞など。中国では外国文学研究所の機関誌『世界文学』(1994年3月号) で作品集が組まれた。芥川賞、伊藤整文学賞など各選考委員を歴任。現在は日本文藝家協会常務理事、日本藝術院会員

日本中国文化交流協会会長に就任

 昨年11月に亡くなった辻井喬前会長の後を受け継いで、日中文化交流協会会長に就任した。「内向の世代」を代表する作家。

 同協会とのつながりは1983年9月の初訪中に重なる。作家の先輩である水上勉氏から電話があり、「日本作家訪中団に参加しないか」と誘われたのが始まり。水上(団長)、中野孝次、井出孫六、宮本輝の各氏と共に約2週間、北京、西安、成都などを回った。

 「まだ文化大革命の傷跡があちこちで感じられた時代でした。有名な劇作家の曹禺さんを訪ねて聞けば、文革時代は劇場で切符のもぎりや便所掃除をしたという。大作家がそんなことを…、と驚きました。また、北京の街ではほとんどの人が人民服姿。女性も同じで化粧はしていなかった」

 一方、中国の可能性も肌で感じた。「この人口、この勢いで力を持てばすごいことになるな、という予感は常にありました」。滞在中は小さなトラブルも多かったが、その度に水上氏が「この国はまだ途中。大きな鍋で粥を煮ている途中だから思うようにいかないこともある」となだめたという。

全てが印象深かった初訪中。旅行記は日中合作で本となり(『中国 心ふれあいの旅』桐原書店刊)、以来、作家訪中団に頻繁に参加するようになる。「これをきっかけに、中国とのつながりがだんだんと深みにはまっていきました」

根深い日中の歴史を踏まえて考える

 中国各地を回って文学交流をする中で、とりわけ印象深く残ったことがある。

 「僕は『昭和一桁生まれ」なんだけど、3、4歳年長の人々が持っている知識の中には、中国の文物が実に自然な形で多く入っているんですね。中国で何かに出くわすと『これはあの詩のあの場面に出てきたな』などと分かる。漢文、漢詩の教育は戦後はだんだんと薄れてきてしまっているのだけれども、戦前の世代は強烈に中国文化の影響を受けています。古い歴史を見れば、日本の交流相手の大部分は中国で、そう考えると学んできたものや、考える基礎になっているものとの関係はものすごく根深い。だから、近代化したからもう古いものは要らない、というのではなく、そこを踏まえた上で今の日本と中国を考えないといけません」

時代が変わっても大事なことは同じ

 91年に日中文化交流協会の役員に就くと、2004年からは理事長に。文化人として、文化交流の在り方も考える立場になった。

 「ここ2、3年で日中関係は窮屈になり、交流もはずみがつかない。しかし、こういう時こそ『文化交流とは何なのか』『人間どうしの交流とは何なのか』、交流の中身をしっかり見つめ直すべきだと思います」

 掛け声だけを繰り返し、ただ数をこなせばいいのではなく、試練の時期だからこそ「交流の質」を大切にする。「具体的な交流の土台を固めること」が役割の一つだと考えている。

 時代が変わり、交流の在り方も変わりつつあるが、「大事なことは変わっていない」と指摘する。「お互いに何を学び合い、大切な事として受け止めるか。そこをベースとした交流が起こらないと本当には通じ合えません」

 「僕はこれまで、辻井さんの後にくっついて行けばよかった」。失った大きな存在をしのびつつ、次へ、そして前へと進む決意をのぞかせた。
(北澤竜英)