会報『日本と中国』

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ニュース2016年8月1日のニュース

モンゴルで8カ月ぶりに日中首脳会談 経済・テロなど協力対応を確認
会談前に握手する安倍首相(左)と李首相。7月15日、ウランバートルで 会談前に握手する安倍首相(左)と李首相。7月15日、ウランバートルで

 モンゴルを訪問中の日本の安倍晋三首相と中国の李克強首相は7月15日、日中首脳会談を行った。双方は英国のEU離脱やテロ対策などについて意見交換し、協力関係を確認した。

 日中両首相の会談は昨年11月にソウルで開催の日中韓首脳会談の際に行って以来。アジア欧州会議(ASEM)首脳会議のため訪れた首都ウランバートルで約30分間行われた。

 冒頭、李首相が「中日関係改善の勢いを維持できるかに大きな注目が集まっている。歴史を鏡とし、未来に向かう精神で安定的な関係に向け努力してほしい」と述べた。これに対し安倍首相は「日中間には依然として難しい問題はあるが、共通の課題に前向きに取り組みたい」と応えた。

 英国のEU離脱問題については、安倍首相が「世界経済が危機に陥らないよう協力したい」と述べ、日中ハイレベル経済対話の早期開催を呼びかけた。これに対し李首相は「中日が協力して金融危機が再来しないよう対応したい」と応じた。

 双方はフランスなどで相次ぐテロ事件についても意見交換し、テロの脅威に日中が協力して対応することで一致。また、南シナ海での中国の海洋活動について安倍首相が日本の立場を率直に述べたのに対し、李首相は「当事国ではない日本は言動を慎み、介入すべきではない」と述べた。

 このほか、李首相は9月に中国・杭州市で開催されるG20サミットへの安倍首相の出席を心から歓迎した。

開催まで1年 国交45周年記念・日中友好都市中学生卓球大会の準備進む
正常化40周年記念の前回大会の模様。2012年 正常化40周年記念の前回大会の模様。2012年

 国交正常化45周年記念事業の目玉として、(公社)日中友好協会などが準備を進める「日中友好交流都市中学生卓球交歓大会」の開催まで約1年となった。大会は中国・北京市で2017年8月4日から6日まで実施され、日中の友好都市同士がチームを編成して試合を行う。

 大会は、協会および(公財)日本卓球協会、中国人民対外友好協会、中日友好協会、中国卓球協会が主催。

“友好第一”

 特徴は日本と中国で対戦するのではなく、日中混成のチームを組んで試合に臨む。編成方法は、日中の友好交流都市同士(例えば、東京都と北京市)がそれぞれ男女1人ずつを出し合い、計4人の混成チームを編成。日中が協力して男女シングル、混合ダブルスを戦う。真剣勝負だが「友好第一」がモットー。相互理解を深めながら卓球を楽しむことが目的で、日中の友好都市交流と青少年交流を促進させることが最大の狙いだ。

 大会の歴史をさかのぼると始まりは1990年。成人で構成された76チームが参加した「日中友好都市卓球カーニバル」が協会創立40周年を記念して開催された。大会は好評で、92年に日中国交正常化20周年を記念して再び開かれ、以後5年ごとに開催している。

 現在、友好関係を結ぶ日中の都市は360組を超えており、大会事務局はこのほど、日本の当該自治体に対し、書面を通じてチーム編成および大会参加を呼びかけた。2012年の前回大会の出場チーム数は83で日中の419人が参加。今回はそれを上回る参加者が目標だ。

宇都宮・協会副会長 中日友好医院で特別講演現場職員と医療交流行う
中日友好医院の職員の方と。右から3人目が小川理事長、同2人目が宇都宮副会長 中日友好医院の職員の方と。右から3人目が小川理事長、同2人目が宇都宮副会長

 (公社)日中友好協会の宇都宮徳一郎副会長(認定NPO東京都日中友好協会会長)が7月8日、北京の中日友好医院で行われた特別講演会に招かれ、同医院の職員に対し「子々孫々の日中友好、祖父の遺志を引き継ぐ」と題して講演した。

 きっかけは今年1月に中日友好医院の王辰医院長が来日した際、北京訪問を要請されたため。宇都宮副会長は今回、製薬会社の官民訪中団のメンバーとして7月5日に北京入りし、日中医療交流の一環で行われたフォーラムなどに参加。その後、特別講演会に招かれ出席した。

 特別講演会には、かつて中日友好医院の設立に携わった順天堂大学の小川秀興理事長(日中医学交流協会理事長)も招かれた。小川理事長は順天堂大学の歴史や日中友好、小川理事長の父親と宇都宮副会長の祖父・徳馬氏(元日中友好協会会長)が同じ年で親交が深かったことなどを話した。当日は順天堂大学と中日友好医院の医学交流に関する覚書への調印式も行われた。

 北京訪問を終えた宇都宮副会長は、「昨年に中日友好協会の唐家璇会長から『医療医学を学んでいる徳一郎君も中日医療の交流に頑張ってほしい』とのお言葉をいただいた。今後も日中医学協会などと連携して、民間の草の根の交流の裾野を広げられるよう努力していきたい」と話した。

中国大使館と日本民間4団体「七七事変」79周年記念集会開く
より良き未来を創り出そう

 駐日中国大使館と日本の民間団体、撫順の奇跡を受け継ぐ会、関東日中平和友好会、日中友好8・15の会、不戦兵士・市民の会」は7月7日、合同で「七七事変」(盧溝橋事件)79周年記念集会を開催した。劉少賓臨時代理大使、郭燕公使ほか、大使館各部署の外交官代表と日本の民間団体メンバー200人余りが出席した。

 劉臨時代理大使はあいさつで「1937年7月7日、日本軍国主義は盧溝橋事変を起こし、中国侵略戦争を始め、中国国民に深刻な災難をもたらした。日本国民も深い傷を負った。この時期の不幸な歴史は中日関係に深い教訓を残し、戦後の中日関係の再建は、日本が歴史を深く反省し、戦争責任を明確にすることにある。中国が繰り返しこれを強調するのは、恨みを持ち続けるためではなく、戦争の教訓を心に銘記し、平和を尊び、悲劇の再演を防ぎ、より良き未来を創り出すためである」と述べた。

稲毛海岸で留学生とクリーン活動行う―千葉市日中
清掃活動を行った参加者たち 清掃活動を行った参加者たち

 6月11日午前、千葉大学中国人留学生学友会(余億会長)主催で毎年6月恒例の稲毛海岸クリーンイベントが行われた。2009年から始まった当イベントは最初、千葉大学留学生の有志のみで行っていたが、年々、その声が口コミで広まり、ここ数年は、首都圏の東大をはじめ各主要大学から総勢100人を超える留学生が集まってきている。

 今年も中国大使館から譚一等書記官をはじめ3人、千葉市日中友好協会(布施貴良会長)からも布施会長をはじめ9人が参加した。総勢110人を超えた。気温は30度で浜辺は炎天下の大変な暑さに。片手にゴミ袋、両手に軍手を装備し午前中いっぱい浜辺のゴミを拾った。

 午後からは隣接している公園にテントを張り、中国式の昼食(弁当ではなく冷麺、から揚げ、寿司などを回しながら食べる)を取り、その後、体を使ったゲームを行い午後3時過ぎに解散した。

 依然、日中関係が不穏な中、中国の留学生が地域貢献を行い、ここ千葉では有意義な日中交流会が年々盛んになってきている。
(常任理事 越智優)

「神田中華街を語る」トーク会が開かれる―千代田区日中
左から、西村幸夫東大教授、鳥居高明大教授、漢陽楼の和田康一、新世界菜館の傳健興の両氏 左から、西村幸夫東大教授、鳥居高明大教授、漢陽楼の和田康一、新世界菜館の傳健興の両氏

 7月12日の午後「周恩来ら中国人が愛したまち、日中友好の中心地、神保町の中華街を語る」と題して、神田学会の都心トークが開かれた。会場は駿河台の明治大学リバティタワー。NPO神田学会と神保町を元気にする会の共催で、東京都日中および千代田区日中の後援。司会は西村幸夫東大教授、ゲストに漢陽楼総料理長の和田康一さん、新世界菜館代表取締役の傳健興さん、明大教授の鳥居高さん。

 明治27〜28年の日清戦争の後、清国政府は「欧米言語より日本語は漢字を使っているので覚えやすい」とした官費の留学生にはじまり、嘉納治五郎が受け入れた1回生の中には魯迅もいた。明治32年に今川小路(現在の専修大学前)に後の維新号が開業するなど神保町チャイナタウンの始まりは、元勤務先が一ツ橋だった筆者にはとりわけ興味深い。

 鳥居先生によると、当時はまだ中国語の標準語もなく、寧波や広東など南方の言葉が飛び交い、孫文と蒋介石が神保町に同時期に留学していた。明治末期の最盛期には、清国留学生は1万人を超えていたという。“周恩来ゆかりの店”漢陽楼の和田康一さんの古写真や話では、開店当時は中華料理店というより、飯の出る下宿屋という感じであった。

 大正2年に神田の大火があり、市街鉄道の合併・整備と市電の敷設により、須田町から駿河台・神保町にかけて繁華街が拡がり、すずらん通り・さくら通りから、靖国通りが目抜き通りになっていったという。平成10年、千代田区日中友好協会が「周恩来ここに学ぶ」の碑を建てたのは、現在の神保町の愛全公園。この場所で、松本亀次郎さんが東亜高等予備学校を始めたのは大正3年であり、その木造校舎は大正12年の関東大震災で消失している。
(片岡健)

「長浜城と黒壁散策の旅」実施中国人実習生・留学生が参加―瀬戸地区日中

 愛知県・瀬戸地区日中友好協会(成田一成会長)は6月4日、「長浜城と黒壁散策の旅」日帰り研修会を実施した。成田会長をはじめ会員、企業で技能実習に従事している中国人技能実習生、留学生ら35人が参加した。

 午前9時に観光バスで瀬戸を出発し、NHK大河ドラマ真田丸でも話題の豊臣秀吉が一国一城の主となった最初の拠点・長浜城(滋賀県)に向かった。当日は、「近世城下町ふるさとまつり」が開催中で、運よく「長浜火縄銃大会」が行われていたので、武将といっしょに写真を撮り、大変盛り上がった。

 昼食は、「長濱浪漫ビール」で石焼近江牛に舌鼓を打ち、参加者同士の会話も弾み、楽しく親睦を深めた。午後は、長浜市旧市街にある伝統的建造物群を生かした観光スポットで、その古建築を活用した美術館、ギャラリー、ガラス工房などが並ぶ「黒壁スクエア」を散策し、参加者は見学や土産購入とそれぞれ思い思いの時間を過ごした。

 帰りの車中も温かい交流の場となった。
(事務局 荒川真治)

ピンポン外交45周年記念し日中友好卓球交流会を開催!―安城市日中
昼食を取りながら交流する鎮江市(右側)と安城市の小学生たち。安城市体育館で 昼食を取りながら交流する鎮江市(右側)と安城市の小学生たち。安城市体育館で

 愛知県・安城市日中友好協会(都築光哉会長)は7月2日、安城市体育館卓球場で小学生による日中友好卓球交流会を開催した。昨年、江蘇省鎮江市(句容)の農業技術訪日団から依頼を受け、約1年で実現した。

農業研修生の縁で実現 江蘇省・鎮江の小学生招く

 この事業が開催できたのは安城市卓球協会や卓球クラブ40人、ピンテック、ゴツムリやSMCの協力のお陰。江蘇省の交流団一行は、小学生22人とその両親25人の計47人で、大型バスで体育館前に到着するとすぐに集合写真を撮っていた。子どもたちは、全員が今言われている富裕層の子に見えた。

 石川和明事務局長の典礼で9時半から開会セレモニー。都築会長からは「今年はピンポン外交45周年の年です。安城は農業研修生を受け入れて35年になります。研修生からは多くの要人が輩出し、張九漢氏(江蘇省副省長)、趙亜夫氏(鎮江市農業技術学院教授)ら多くがここで研修された。この機会を契機に小さな交流が大きな玉になってほしい。中国ともっと関係を良好にして、近くて近い国にしていきたい」との力強いあいさつがあった。卓球協会の渡辺晋也会長は「ようこそ安城市へ。技術は中国の方が上と思いますので、この交流を通じ、ピンポン技術交流や友好交流をしてほしい」と述べた。さらに来賓の岡﨑温・(公社)日中友好協会理事長や杉浦秀昭市議会議長は「こんなに素晴らしい会を開催していただき感謝します。先導役となって草の根民間交流を推進してください」とあいさつ。中国側の団長は「大きな卓球場での交流をありがとう。次回はぜひ中国へ来てください。歓迎します」と述べた。

 交流は、12の卓球台に分かれて試合に入った。勝ち負けは別として真剣な眼差しで遠慮しないスマッシュやラリーが見られ、関係者から大きな声が飛びかった。昼食会では、杉浦正行協会顧問が「2020年東京オリンピックに出られるように頑張ってほしい」と激励。お腹が空いたのか互いにテーブルを囲んで和気あいあいで食事し、「謝謝」の声が多く聞こえた。交流後、大型バスに乗り込む中国の子どもに対し、安城の子どもたちは「再見 再見」と言いながら涙ぐむ場面も。一行は多くの研修生を輩出した近藤農場と安城が誇る唯一のテーマパーク「デンパーク」を視察見学し、7月3日に帰国の途についた。
(会長 都筑光哉)

中国象山で徐福フォーラムが開催される
地元テレビ局の取材を受ける羽田氏 地元テレビ局の取材を受ける羽田氏

 6月15・16の両日、中国浙江省象山県で、「中日韓徐福文化象山フォーラム」が開催され、日本からの12人、韓国からの12人を含めた100人余りの出席があった。

 象山県は寧波の南に位置し、海に囲まれた漁業が盛んな地域。ここには、秦の始皇帝から不老長寿の霊薬を探すことを命じられた徐福が、始皇帝から逃れて2、3年隠れ住んだとの伝説が残る。2012年9月、この象山で、徐福国際会議が行われる予定であったが、「尖閣」の問題で突然中止となった。日中関係はまだまだ不安定なものであるが、4年の歳月を経てフォーラムが実現できたことは嬉しい。

 フォーラムは、始めに羽田孜元元首相のニ男である羽田次郎氏のあいさつがあり、参加者から徐福に関しての様々な研究や意見が述べられた。日中友好、平和のシンボルとしての徐福伝説も重要な要素となっている。また、徐福文化研究に功労があった方に対しての表彰が行われ、日本からは、神奈川県日中友好協会理事で、日本徐福協会会長の田島孝子氏ら9人が受賞した。

 参加者は、象山徐福伝説地にある徐福を祀る道教寺院なども見学した。道教寺院では、地元の子どもたちが古代の服装で「道徳経」を唱える演技もあり、地元民の餅をつき、丸めて、私たちに振る舞ってくれるなどの歓迎も嬉しく思った。

 現在、中国では、徐福のテレビドラマの撮影準備がすすんでおり、今年中に富士山など日本でのロケが始まる予定だ。これからは徐福を通じての日中友好活動がますます活発になるだろう。
(神奈川県日中友好協会会員 伊藤健二)